たかしげエッセー 『心臓人工弁の終り』

たかしげさんから昨年頂いていたエッセーをご紹介します。
たかしげさん、今年も引き続きよろしくお願いいたします。
カムバックハート
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八十路をいく身となると同年代の著名人の訃報に関心を持つようになる。自分自身にもひしひしと迫ってくる感じがする。人工弁やペースメーカーで命を支えられているから尚更だ。過日義兄が他界し葬儀に参列した。杖に援けられ心臓を患っている身体だと手を合わせるだけで、ただの参列者のような立場とならざるを得ない。

火葬が終わり骨上げの時、一つのお骨を二人で骨箸で挟んで骨壺に納めながら考えた。自分の場合は大動脈弁と僧房弁が機械式人工弁に置換されている。また、大動脈血管を10㎝ほどの長さを人工血管に置換してある。オマケのようにペースメーカーが左鎖骨下側に埋めてある。いろいろな人工物で補われた心臓で生きている。いや、生かされてるのかもしれない。しかし、いずれにしても生きてる者は「生者必滅、会者定離」だからいずれ逝くだろう。

火葬した後、ペースメーカーや機械式人工弁はどうなっているのか、焼けて跡形も無くなるのか ふと、脳裏をよぎる。1982年大動脈弁置換手術を受けた時に医師から機械式人工弁の材質はチタニューム材と聞いた。更に、2011年東日本大震災が発生した時は僧房弁置換手術を受ける待機中だった。血液抗凝固剤のワーファリンを服用するから同じに半永久的に寿命がある機械式人工弁に置換手術を受けた。

最初の手術からほぼ30年経過しているので不確かだが主材は新素材の炭素繊維らしい。
遺体の火葬温度は体格などで調整されるらしいが800~950℃程度らしいので機械式人工弁の残骸が残るのか、それとも跡形もなく焼けて無くなるのか興味がある。生体弁は当然人体と同じに焼却されるだろう。

自分の場合は骨上げの時に係員がどんな説明をするのだろうか、
副葬品の一部として見過ごされるかも知れないと思いながら係員の説明に耳を傾けた。
親戚縁者の前に置かれる遺骨は係員が選別したのだろう、ステンレスの塵取り風受け皿で机上に置かれた。それぞれのお骨の説明をしながら骨壺に納めていた。どのようなことでも知識と関心が無ければ聞き流してしまう。前述のような身体だから耳をそば立てて聞いた。

それぞれの身体の部位について喉仏・顎骨・背骨・頭蓋骨・・・・と骨の名を挙げて説明しながら骨盤から頭骸骨へと順序よく骨壺へ積み重ねて納めている。脚や腕の長い骨は納骨には長すぎるからか見当たらない。大きさが決まっている骨壺だからだろう。蓋が閉まるよう周囲を骨箸でザクザクと突いている。厳粛な儀式にしては抵抗を感じた仕種(しぐさ)だった。蓋を閉め、透明のビニールテープで密閉した骨壺を桐箱に入れて金襴(きんらん)緞子(どんす)の化粧袋がかぶされて喪主に丁重に手渡された。

一連の火葬納骨のプロセスで感じたことは、いま、30年余り命をつないでくれているペースメーカーや人工弁を遺品として残したいが火葬だから無理だろう。永年埋め込まれた人工弁などの鼓動を意識して助けられて来た愛着のあ命の源だ。今後も活躍を願い、火葬・骨上げの様子を視点を変えて興味深く眺め振り返ってみた。

  了
たかしげ
2016.10.20

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たかしげエッセー 『右と左』

たかしげさんから、またまたエッセーが届きました。前回の記事「心臓病に左利きが多いのか?」に関連して、「心臓にも右心房左心房とあり、人体の多くの部位は左右に分かれ存在しています。そんなことを思いながら綴ったエッセーがありましたので送信します」とのこと。たかしげさん、いつも興味深い文章を頂き、ありがとうございます。
カムバックハート
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みぎとひだりと云っても政治のはなしではない。人間のカラダは縦の中心を境としてほぼ対称(シントメリー)に出来ている。何故なのかわからないが、造物主は上手い具合につくってくれたものだ。飛行機のエンジンが故障し、片肺飛行で帰還したドキュメンタリードラマで観たことがある。人の肺はそういうわけにはいかないだろう。外部から見える手、脚は右と左は同じ働きをしている、でも左利きの人も器用に左手で箸をつかい、文字も速くきれいに書く。脚は手ほどではないが利き脚でキックしズボンや靴をはくとき意識しないで左右どちらか先に足を入れる。
心臓病を患い手術した体験を持った人は詳しく分かっているでしょうが、一つしかない人体の〈核〉です。やはり右心房・室、左心房・室とあり、働いてきた血液が静脈を通って心臓のみぎ側に戻り肺を経由して心臓のひだり側に入り新鮮な血液として全身に供給される。腎臓は肺と同じで、みぎと、ひだりで二つある。二つあるからかばい合っているのだろうか、どうなのか、精密検査しなければ分からない。
身体の外部にあってIT機能を備えた眼・耳はみぎと、ひだりがある。若いうちは普通の人はほとんど意識しないが近眼には気を遣う。老いを意識するようになると難聴か?老眼か?と気になる。左右ある耳や目は左右あるから片方が悪くなったり、衰えても良い方がカバーするので不便はあまり感じられない。生活に不便を感じて来るにはよほど悪くならなければ判らない。
誰もがテレビを毎日観て聴いて暮らしている。シニアと云われる齢になった場合、意識して掌や指で塞いで片方の眼で見る、耳で聴くと違いが判るはずだ。専門医で診査してもらうと不具合を指摘される。私の場合は乱視でメガネを掛けている。しかし読み物は裸眼で読める。前述の片方テストをすると明らかに差を感じた。さらにPCネットの緑内障テストを行うと明らかに異常初期状態と出た。眼科で精密診察結果眼圧が20で白内障・緑内障と診断された。でも日常生活では全く異常、不便は感じないが、太陽光の強いときや暗夜の段差などには注意が必要だ。毎日パソコンを抵抗なく操作している。心臓を含めていろいろな部位の病はアラームを鳴らして注意を喚起してくれる。シニア世代、後期高齢者と名付けられると眼や耳の右は?左は?の注意を意識したいですね。  
命の源の心臓を手術された体験者はとかく意識が心臓に片寄りがちですね。
                                了
                       2014-7 
2016-6-3推敲
     たかしげ

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たかしげエッセー 『中学卒業マラソンと喘ぐ心臓』

(元)心臓病仲間の集まりの常連参加メンバーであり、仲間の間では一番ご年配のたかしげさんからエッセーを頂きました。先日開催した集まりで話題に上ったマラソンをテーマに2007年に書かれたものに今回加筆を入れられた文章です。
カムバックハート

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『中学卒業マラソンと喘ぐ心臓』

 中学校は神奈川大学の南東の小高い丘の上にあり、周りは民家に囲まれて、遠く東側は横浜の港方面が眺望出来る学び舎たった。
昭和二十五年、世の中も終戦から少しずつ落ち着きを取り戻し、学校の行事も多く取り入られるようになってきた。卒業も間近になった二月の寒い日、校庭には全校生徒が運動着を着て集まり白一色でこれから恒例の「全校マラソン大会」がスタートする緊張の一瞬だった。ワイワイガヤガヤ、お喋りと吐く息が白く湯気のように生徒の頭上に漂っていた。僕もこのなかの一人だった。当然、健康な生徒のみの参加で体調の悪いものは決して無理して参加しないようにと厳しく注意されていた。
「心音が異常だ」と校医から運動を厳しく止められていた入学当時だったら参加しなかったかもしれない。バスケットボールや水泳で暴れまくり過激極まりなく体を動かしている。担任の先生は女の先生だけれど、僕が日ごろ元気にしているからかマラソンを走ることに何も云わなかった。

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たかしげエッセー 『震災と心災』

たかしげさんからの投稿です。私がたかしげさんと初めてお会いしたのは震災の年の1月でしたので、もう5年以上が経過しました。数年越しの付き合いの(元)心臓病仲間がどんどん増えています。
カムバックハート

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「震災と心災」 災い2 
               たかしげ  2,016 3 12

あれから五年の月日が経った。東日本大震災の未曾有の被害状況を振り返るニュースが報じられている。震災を回顧する記事や放送を見聞すると、当時の穏やかならずの心状に改めて心の内が騒ぎだす。それは、二度目の心臓手術で、僧房弁を人工弁に置換し、更に大動脈瘤を除去し人工血管に換える手術を受けるため入院待ちの不安な毎日を過ごしていた矢先の地変だった。この不安に拍車を掛けるように壊れている心臓は烈震の恐怖に慄(おのの)いた。入院を目前にして連夜の区域毎の停電、加えて鼓動の乱れは極めて気になる。予定通りに入院手術できるのか不安の極みで担当医師に連絡した。電力事情が安定する5月中旬に延期された。この時の心境は災いで心は激震状態だった。あれから五年の歳月が流れ、ペースメーカーで鼓動は補完されサイボーグ状態の心臓で生き還って平穏な暮らしが出来ている。

先日定期検診を受けた(心電図・CT・エコー・X線・PTInr)を行いアウトプットされた画像やグラフ、数値の説明を受けた。総じて異状無く、問題なしと診断された。思えば、過酷な時代を生きた世代だ。戦中の空襲からの逃避で東北へ疎開。戦後の食糧難、高度成長期に激務と過労で生きて来た八十路を下るオトコには激震の道すがらだった。
当時の仲間の大半は黄泉の国へ旅立った。

震災の追悼式での両陛下のお姿に、同年齢であり、同じに心臓手術され波瀾多き時代を歩んできた一人として感慨無量で追悼式のニュースを聴いた。  
                          了

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たかしげさんからの投稿  「クスリはリスク」 

たかしげさんからの投稿です。自らの心臓病に関する経験など、みんなに発信したい文章を送って頂けましたら本ブログに転載させて頂きます。

カムバックハート

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「クスリはリスク」        たかしげ

現代ではクスリはリスクと言われるように、昔からも薬は毒と言われていました。医者の世話にならず薬ものまず一生過ごせるとは誰もが思っていないでしょう。人によっては更にサプリメントを探し求めて健康を維持しようと努力し症状に合うものが手に入れば安心します。 私は小学生の頃に肺門リンパ腺炎を患った。太平洋戦争以前だから何の薬やどんな注射を打たれて治ったのか何も分からない。

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Author: カムバックハート

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カムバックハートこと、鍋島と申します。神奈川県川崎市在住の48歳男性。

2008年12月に僧帽弁形成手術を受けて、第二の人生をスタートさせることができました。

南淵先生と私

南淵先生と私(術後の初外来にて)

フィルムで写真を撮るのが趣味です。(元)心臓病仲間のポートレート写真展の開催に向けて準備中です。詳細はこちらの記事。「創と私」「術前 vs 術後比較ポートレート」「病気を支えた家族と(元)患者のツーショット」「笑顔の(元)心臓病仲間のポートレート」のテーマで作品制作中です。これから心臓手術を受けるかもしれない人達に元気になる期待と勇気を与えたいと思っています。

心臓病仲間の輪に入りたい方や、ブログについてのご質問、お問い合わせのメールはお気軽にこちらへ どうぞ。但し、私は医者ではないので医学的なご質問にはお答えできません。初めての方は簡単なプロフィールをお願い致します。

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ブログ開設: 2008年12月
お知らせ
南淵明宏先生の公式サイトにある「勇患列伝」 その7に出てくる「平松」とは私のことです。

yomiDr.のサイトにある世相にメス 心臓外科医・南淵明宏ブログ にこのブログのことを書いて頂きました。こちらの記事には第三回(元)心臓病仲間の集まりについて書いて頂きました。

このブログは、私が弁膜症の僧帽弁閉鎖不全症という病気に診断されたところから、入院、手術、退院、その後の生活という流れで時系列に記載しています。2008年12月当時の状況ですので、その後の医学の進歩で内容的に古くなっている部分があるかもしれません。実際の患者にしか分からない心理的な面の記述をできるだけ表現したつもりです。最初から読まれる場合は、「★はじまり ~こちらからご覧下さい~

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