第三回(元)心臓病仲間の集まり 開催しました!

2年半前、病院の大部屋で迎えた手術前夜は、実はもっと落ち着いて眠りについていたはず。だが、昨晩は、気持ちが高揚し興奮で目が冴えてなかなか眠れなかった。そのくせ、今朝は、普段よりかなり早く自然に目が覚めた。今日出会った多くの皆さんがそのような状況だったのかもしれない。



第三回(元)心臓病仲間の集まりを、横浜の山下公園近くのレストランで開催した。第一回の集まりの参加者数が7名で、第二回が13名、そして、今回は25名となった。毎回倍増している。はるばる遠方から新幹線に乗ってやってきた参加者も数名、そして、術前の方も4名も来て頂いた。

今回は、事前に当日の参加者のみに公開可能な各自のプロフィール情報の提供をお願いをしていた。それを、参加者名簿にして当日の参加者に配った。これはなかなかの傑作だと思う。お互い初対面の方でも、そのリストを元に話のきっかけを作り出すことが簡単にできるからだ。また、折角の機会なので、同じ病気の方、同じ地域にお住まいの方、術後の同じ悩みを持つ方や、同じ趣味を持つ方同士など、何かしら共通項を見つけて、近づくこともできたと思う。リストに載っている参加者全員とお話をするべく、座席を頻繁に替えている方もいた。

参加者の統計的データをご紹介。執刀医別だと、南淵チルドレンが6人、倉田チルドレンが3人、後の術後の方、10人は其々別々の病院や執刀医に手術してもらった方だ。僧帽弁の方が12名、大動脈弁の方が6名、心房中隔欠損+三尖弁の方が2名、心房中隔欠損+僧帽弁の方が1名、バイパスの方が1名、そして、バイパス+大動脈弁+僧帽弁の方が1名であった。今回の参加者の正確な年齢分布はヒアリングしていなかったので分からない。通常、世間で心臓手術を受ける人の平均年齢は60歳代と思われる。それからすると、今回の集団サンプルの年齢層は、標準偏差を大きく下方に逸脱した異常値というしかない。10代後半で最初の手術をされた方が1名、20代が数名、30代が恐らく最多、40代がそれに続き、50代までという状況だ。

この集まりは、僧帽弁形成の方以外ももちろん大歓迎。手術を受けた病院や執刀医も問わない。そんな(元)心臓病仲間の集まりだ。

そして、本日の集まりでの最大の特典は、この集まりに参加して頂いた南淵先生と深津さんのお話を生で聞けたことだと思う。心臓外科医や手術室看護師と病室や診察室以外の場所で話をする機会なんて、(元)患者にとっては滅多にないことだ。なんというありがたい機会を得たことであろうか。

マダムアリスさんから頂いた言葉を引用させて頂きます。

「心臓手術を経験することは、其々の人らしさの引き出しの数を増やしてくれる。みんなと知り合えたことも引き出しが増えたお陰。心臓病によって其々の人生に増えた引き出しを 閉ざしたままに聞き役にまわるも良し!少しだけ開けてみるも良し!全開で自分の経験や活動を語るもよし!参加された方々の気持ちや心に後ろ向きでは無い・・・暖かな陽射みたいなものをあなたの引き出しの中に残すことができれば、今回の集まりは大成功です」

参加者の皆さん、今日の集まりで何かしら心の中に得るものがあったでしょうか?

たまには管理人も手抜きしたいので、現場の詳細な状況報告は、参加者の皆様にお願いしたいと思います。このブログのコメントで、皆様からの当日のご報告やご感想などを是非お知らせ下さい。

「世相にメス 心臓外科医・南淵明宏ブログ」に、この集まりのことが掲載されました。医者の視点と患者の視点の違いが感じられた南淵先生の記事でした。Yomi Dr.はこちらへ。





第四回目以降の(元)心臓病仲間の集まりで、より多くの皆さまとお会いすることを楽しみにしております。

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たかしげさんの心臓手術体験記録

今年1月4日の記事に書かせて頂いた、運鈍根さんこと、たかしげさん(仮名)の手術体験記録の公開許可を頂いた。

思えば、1月4日の午後、横浜の喫茶店で、マダムアリスさん、三つ葉葵さんと私で、たかしげさんとお会いした。たかしげさんの長く豊富な人生の体験談を時間が経つのを忘れて伺った。そして、その時は、二度目の心臓手術を受けることをまだ悩んでいる、そうした心境も伺っていた。決断するのはご本人。それは心臓手術経験者の誰もが知っていること。その場にいた誰もが、「たかしげさんは手術した方がいいですよ。」とは言わなかった。

だけど、我々と実際に出会ったその時に、決断は為されていたのだろう。私がそう思うのは、その日の最後に、そっと独り言のように洩らされた言葉が私の記憶に強く残っていたからだ。

「やってみようかな・・・」

たかしげさんは、昭和9年生まれ。喜寿を迎えられた。考心会の心臓病アンケート調査Ⅱの報告書によると、最初の手術を受けた年齢が70~79歳の方は全体の26%。つまり4人に1人はたかしげさんの年齢層ということなので、決して特別高齢での心臓手術ではない。もっとも、たかしげさんの場合は、一回目の手術を約30年前に受けられているので、最初の手術が40歳代の全体の6%のグループに属する訳だ。

第三の人生をスタートされてまだ1ヵ月未満。そんなたかしげさんの新鮮な心臓手術体験のエッセーを紹介させて頂く。実体験に基づく言葉は、同病の仲間に本当の勇気を与えてくれると思う。
   
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『サイボーグで甦った』

一生に二度も胸や心臓にメスが入り人工物を埋め込まなければ生きられないとは運動に明け暮れた青春時代には思ってもいなかった。ボイラーモヂュール工法が脚光を浴びプロジェクトチームの配置、配管設計担当として頑張っていた頃だった。一年前に心臓弁膜症の人工弁置換手術と診断されベッド空きを待たされていた。秋風が立ち始めた頃、残務を後輩に託して手術台に横たわった。新杉田先の金沢工場移転で慌しい日々だったが心臓大動脈弁の置換手術に成功して病院前の道路を金沢地区へ走る引越しの車列を見送った当時を想い出した。再起して70才まで勤めさせてもらい以後趣味の生活で悠々の暮らしをしていた。この手術時肺から心臓に入る僧帽弁も幼児期のリューマチ熱により石灰化が進み狭窄、閉鎖不全となっていたのを広げる処置をした。

それから術後約四半世紀が経過した頃、この僧帽弁もますます狭窄が進み開口面積が1.2㎝2となり常人の4分の1の面積と狭くなり歩行困難、坂道、長い会話、カラオケなど心臓や肺に負担がかかると息苦しく市中の広い横断歩道を渡り切るのに深呼吸を繰り返し充分に構えて歩き始める症状となってしまった。
各種の医療検査結果にその症状の証拠が反映され、僧帽弁の閉鎖不全症により心臓肥大が進み加えて三尖弁輪形成術を行う必要ありと診断された。

1回/2か月の外来通院で主治医から手術を奨められ手術して人工弁に置換しなければ八十代に踏み込めないと宣告された。《QOL-生活の質-を維持向上するためにリスクは大きいけれど進歩している医学医術を信頼して挑戦してみたらどうか》とまだ手術に踏み切ることの出来る年齢であると自信ありげに告げられた。

しかし、あまりにも処置する部位の多さに、即答を躊躇した。現状では極力外出を止め、タクシーなどを利用し行動を控えた暮らしをすれば八十才くらいまで生きられるだろうと思い手術をためらった。有名なセリフではないが"To be or not to be"の心境だった。

9年生まれの芸能人で「九年会」のメンバーも黄泉の国へ逝った。児玉清、長門弘之・・・同年生まれで喜寿だから。こんな訃報を耳にした矢先、あの未曾有の震災と津波、加えて計画停電、不安定な電力供給に戸惑いを隠せず主治医に相談、停電対象外地区の確認を得たが、2か月延期となり手術日5月23日を待つことになった。

入院後受け取った「手術説明および同意書」によれば処置する部位の多さに不安が募った。
 ○僧帽弁狭窄症(開口面積4.9㎠→1.2㎠) ⇒ 機械式人工弁に置換手術。
 ○既設の機械式人工大動脈弁 ⇒ 開胸結果補修の要否判定し軸受け部の補修施行。
 ○三尖弁閉鎖不全症 重症 ⇒ リング形成術施行。
 ○上向大動脈瘤(径55㎜)切除後人造血管に置換。(石原裕次郎の手術と同じ部位) 人工心肺装置使用して手術。                                    
手術結果:成功率 約90~95%
術後心機能改善の見通し。術後心不全進行の予防。
心房細動から規則正しい脈に回復する可能性 80%
危険:約5~10%
病院死亡率 (日本胸部外科学会統計2008年による)
再手術による僧帽弁置換+三尖弁形成術 4.1%
初回手術による上向大動脈置換術    2.4% 
 
Japan score (日本心臓血管外科学会)による 患者《たかしげ(仮名)》のリスク:
30日以内 手術死亡率 18.9%
30日以内 手術死亡率+主要合併症 65.1%

こんな「手術説明書」を見せられて大船に乗った気持ちで手術台に乗れるほど肝っ玉は座っていなかった。でも入院前に家内と二人の子供宛てに書面で覚悟の気持ちを表して持参しバックの中に入れ枕下に入れた。

手術中の合併症で一番のリスクは冠動脈狭窄による心不全であり、真っ先に冠動脈カテーテル検査を行うこととなった。カテーテル検査のリスクの説明を受け同意書にサインした。手術着を着て歩いて検査室へ向かい検査台に横たわった。30年前とは検査室の様相は違って最新設備の感じがした。右手の手首付近に局部麻酔が打たれ感覚がなくなってきた。意識は明瞭だ。ベッド左側に若い女医さんが30㎝くらいに顔を近づけ介添えをしてくれ励ましてくれている。目元のアイシャドウがはっきりと目に映りマスクに隠れた美人医師を強く印象付けられた。余裕があるな!

右腕にカテーテルが挿入されていく感覚が傷みなく分かる、カテーテルの挿入で周りの皮膚や肉が引き連れて押される感覚がはっきりと意識できる。
カテーテル挿入医師とモニター操作医師との会話が数分間続いて終了した。

30年間血液抗凝固剤(ワーファリン)を服用し続けたからか冠動脈は正常の血管を保っていることが分った。さらに胃カメラ検査、肝臓CTなどを行い術中の合併症に対して万全の注意が払われた。これで心臓大手術の準備は整った。

入院してから手術に備え出血防止のためワーファリン服用は止め、へパリンの点滴を続けていた。これも初めて知ったことだが血液の抗凝固と血栓との相反する処置をどうするのか疑問を持っていたが医薬の進歩に納得が出来た。

前日に手術に備え久しぶりに風呂に入った。防水電動カミソリを持たされ自分で剃毛するよう命じられた。剃毛結果を視た看護師は「こんな多く剃毛する必要なかったのに・・・・」と云ってOKを貰った。先に云え!と思ったが口を噤み言葉を返さずへんな気分だった。
                                 
いよいよ5月23日手術当日を迎えた。AM 8:50手術着に着替え歩いてエレベーターに乗り4階の手術室へ向かった。手術室の待機部屋で注意を受け、手術台に横たわった。

そして記憶が途絶えた。‐――――――――――――――――――

待機していた家族に手術成功の連絡が入ったのは13時間後の夜の10時頃だったらしい。

何日後か定かではないが、小学生の幼い声が「イタイヨ!痛いよ!」と聞こえてくる。また、中年の男性の声で「俺はどこも悪くないここからだしてくれ!」とわがまま言っているのが聞こえ看護師のなだめ叱る声が重なる。俺が幻聴なのか分からない。家族や姉妹や高校生以上の孫たちがベッドの近くに寄ってきて手術成功を喜んでくれた。胸から聞こえる人工弁の音と祝福の言葉が間断なく聞こえる救急車のサイレンにかき消される。

四日後に個室に戻った。個室では横浜金沢の海を間近に見え、遠く房総半島を眺望出来て暫し生きて戻った喜びに浸った。10センチ角、厚さ2センチほどのプラスティック容器に血液が滲んだ白いラード油脂と思われるものが左腰の横に置いてあった。これが8ミリくらいの透明なチューブに繋がり開胸創に張り付いていた。

ICUからHCUに移った三日後には開胸創は完全に付着して痛さはなくただ痒みだけだった。抜糸の痛さに苦しまずに心臓の血流が全開して流れている感覚となっていた。開胸創はきれいに接着し術後一週間後には消毒無しで入浴の許可が出た。ナースステーショでも評判の美人の補助ナースが背中を流し術中の汚れを洗い落としてくれた。70才を過ぎた爺にはもったいないことだった。

五日後には病院専属の美人リハビリ師による歩行訓練が始まった。ちょっとふら付くが杖もなく意外と脚力の強さに安堵した。

嚥下障害防止、尿、ドレン、酸素などのチューブやパイプは毎日のように躰から離れていき、二週間過ぎには心電図モニターも外された。医師とのコミ二ケーションに努め信頼して手術台に横たわったことは正解だったようだ。

多種の人工物を心臓に埋め込み、まさにサイボーグ機能を備えた心臓となり八十代に突き進めそうだ。体重64㎏→54㎏とスマートになったが食欲は正常で早く一献盃を傾けたい心境だ。震災、津波、原発事故、計画停電・・・・・と不穏な状況下であったが喜寿の爺はまた甦ることが出来た。 了

追伸:シワガレ声は術中に咽喉から胃に挿入したパイプの影響で咽喉部が傷んでいるそうです。時が解決するでしょう。

2011-6-21     たかしげ

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『(元)心臓病仲間のポートレート写真展』

それは、私が2012年度中の開催の実現を目指して現在、企画と準備を進めている取り組みである。

写真展の目的は、①(元)心臓病仲間の癒し、励まし、仲間の拡大、②医療関係者への患者側心理の伝達、③写真・銀塩モノクロプリントへの関心である。

大枠の内容は、第一部が、術前~入院~手術~退院までのプロセス編で、患者の不安や恐怖、家族や仕事のこと、励まし、勇気、達成感、自由などの気持ちを表現したい。自分の入院中の写真や、南淵先生や深津さんのスナップやポートレート、病院関連の写真を使う予定だ。

第二部は、(元)心臓病仲間編で、小テーマとして、①創と私、②術前 vs 術後比較ポートレート、③病気を支えた家族と(元)患者のツーショット、④笑顔の(元)心臓病仲間のポートレートの4つを考えている。

写真は全てモノクロ銀塩フィルムでの撮影。プロラボでのプリントワークショップ、及び、自家暗室で一枚一枚丁寧に手焼きで作品を仕上げる予定だ。正直、満足な展示用プリントを一枚焼くのに最低でも一時間は掛かる。乾燥やフラットニング(プリントを平坦にする作業)も入れると相当な手間と労力だ。根気のいる作業だが創造性のある仕事はやっていて楽しい。だからなのか、私の場合、簡単で便利にハイクオリティな画像の得られるデジタル画像には関心がない。デジカメはあくまでも記録用なのだ。

下記のような写真展準備用のカードを作成した。過去の集まりなどで撮影させて頂いた写真の展示会での使用を、既に何人かの仲間にお願いしたが、ほとんどの皆さんが快く許可して下さった。心臓病経験者である我々にしかできない創造や表現を発信したいと思っている。まだまだ作品を撮りためる必要があるので、関心を持たれた方は是非ご協力を頂きたい。そして、みんなの印象に残る思い出深いイベントを実現したいと強く思っている。

--------------------------------<写真展準備カードの内容>--------------------------------

『(元)心臓病仲間のポートレート展』の開催に向けて笑顔の写真を撮らせて頂ける方を募集しております。

心臓手術を受けてこんなに元気になったんだという笑顔のポートレート作品を撮り続けています。私が出会ってきた50人以上の(元)心臓病仲間は、心臓手術という大きなイベントを乗り越えることによって精神的に成長され、皆さん例外なく素晴らしい笑顔をされています。その笑顔でこれから心臓手術を受ける方々の手術に対する不安を解消してエールを送りたいと考えています。モノクロフィルムで撮影し、自家暗室で手焼きのプリントを行っています。撮りためた作品を『(元)心臓病仲間のポートレート展』という写真展を開催して公開したいと思っています。写真のモデルになって頂ける方を募集しております。術前、術後、年齢、性別、場所を問いません。お写真撮らせて頂ける方、そうでなくても仲間になりたい方、カムバックハートこと鍋島までご連絡をお待ちしています。



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(元)心臓病仲間の横浜ベイクォーターストーリー

まるでテレビドラマのタイトルのような今日のブログのタイトル・・・

今度開催する(元)心臓手術仲間の集まりを、「第三回目」と呼んでいる。しかし、実際には、ブログを通じて知り合った(元)心臓病仲間同士の交流は不定期に行われそれ以上に回を重ねている。

暫く前から、マダムアリスさん、三つ葉葵さんと、とある用事で今日は会う約束をしていた。その用事は延期にしたのだが、三人共、折角都合を合わせていたので、横浜で食事をすることに・・・

横浜駅近くのベイクォーターにあるハワイアンレストランを選択。海の見えるなかなかお洒落なスポット。梅雨の谷間の爽やかな天気だったので、テラス席で食事。6/26に開催予定の(元)心臓病仲間の集まりの準備状況を打ち合わせた後は、例によって、心臓病にまつわる話が其々の口から湯水のように湧き続ける。それに加えて、普段なかなか他人には相談できないような其々の家族の話もフランクに語り合えて興味深い。少しお酒を飲んだので赤くなっているが、美女二人の創をご披露。ネックレスよりも創の方が魅力的!

三つ葉葵さん(左) マダムアリスさん(右)

先日、三つ葉葵さんのご友人の方が、我々(元)心臓病仲間3人が話し合っている様子を、たまたま見られる機会があった。そして、我々の結束感に驚かれたそうだ。確かに、同じ心臓手術を受けた者同士の結束感、親近感、信頼感は、その経験者でないと決して想像できないくらいに大きく強いものであることは間違いないと思う。

食事会をすることは急に決まったので、急な召集令状を近場に住んでいる仲間にメールで送付・・・昨日の今日で、しかも、折角の金曜の夜に集まれる人は当然少ない・・・

Oさんからは、お仕事なので無理とのお返事が・・・

そんな時、「たけしの部屋」のたけしさんからアリスさんにメールが届いた。
「今日はもう自宅なので、残念ですが行けません。次回の集まりを楽しみにしています!」
葵さんの携帯から我々3人の写メをたけしさんに送付。



そこに、アリスさんが「次回の再会を楽しみにしています。コスプレのご希望があればお知らせ下さいね♪」とメッセージを添える。
すると、たけしさんから即返信。「コスプレは、ゴスロリでお願いします!」
それを読んで、みんなおおうけ。すっかりやる気になっているアリスさんが可愛かった。分かる人にしか分からない世界が(元)心臓病仲間の輪の中に広がりつつあるようだ(笑)

今日は、横浜スタジアムにプロ野球観戦に行くので集まりには来れないと連絡を頂いたTさん。二次会に入った我々は、そろそろ野球終わってんじゃないかな、と思い、Tさんに我々3人の写メをこれまたメール送信。そしたら、嬉しいことに、「今からそちらに行きます!」とのこと。そして、なんと、可愛い奥さまとご一緒に登場!


Tさんの創

Tさんは、ご結婚後のある日、突然感じた胸の痛み、それを奥さまに伝えた。痛みは一日で無くなったそうだが、そのことが気になった奥さんは、Tさんに病院での検査を勧めた。Tさんは、スポーツ万能、外見も健康以外の何物でもないかのような容姿をされている。胸の痛みを感じた時、彼がもし一人であったならば・・・その一過性の痛みである、心臓からTさんへのアラートは、いとも簡単に忘れ去られていたことだろう。心臓が発してくれた貴重なアラートを察知し、Tさんに病院に行くように助言をしたのは、一緒に住んでいる奥さん。結果的にTさんの心臓の僧帽弁に逆流があることを判明させた。そして、数日後に手術へ。執刀医は、南淵先生であった。

Tさんは奥さんのことを命の恩人と言っている。これもドラマである。そう、心臓病の周りには、誰しもドラマが存在している。本人が気付くドラマもあるし、気付いていないドラマも多く存在しているのだと思う。

だから、私にとって、(元)心臓病仲間と出会って会話をすることは、テレビドラマの次回作を観るかのようにワクワクすることなのだ。



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プロフィール & メール

Author: カムバックハート

カムバックハートブログバナー

カムバックハートこと、鍋島と申します。神奈川県川崎市在住の48歳男性。

2008年12月に僧帽弁形成手術を受けて、第二の人生をスタートさせることができました。

南淵先生と私

南淵先生と私(術後の初外来にて)

フィルムで写真を撮るのが趣味です。(元)心臓病仲間のポートレート写真展の開催に向けて準備中です。詳細はこちらの記事。「創と私」「術前 vs 術後比較ポートレート」「病気を支えた家族と(元)患者のツーショット」「笑顔の(元)心臓病仲間のポートレート」のテーマで作品制作中です。これから心臓手術を受けるかもしれない人達に元気になる期待と勇気を与えたいと思っています。

心臓病仲間の輪に入りたい方や、ブログについてのご質問、お問い合わせのメールはお気軽にこちらへ どうぞ。但し、私は医者やカウンセラーではないので医学的なご質問にはお答えできません。初めての方は簡単なプロフィールをお願い致します。

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ブログ開設: 2008年12月
お知らせ
このブログは、私が弁膜症の僧帽弁閉鎖不全症という病気に診断されたところから、入院、手術、退院、その後の生活という流れで時系列に記載しています。2008年12月当時の状況ですので、その後の医学の進歩で内容的に古くなっている部分があるかもしれません。実際の患者にしか分からない心理的な面の記述をできるだけ表現したつもりです。最初から読まれる場合は、「★はじまり ~こちらからご覧下さい~

コルコバード


南淵明宏先生の公式サイトにある「勇患列伝」 その7に出てくる「平松」とは私のことです。

yomiDr.のサイトにある世相にメス 心臓外科医・南淵明宏ブログ にこのブログのことを書いて頂きました。こちらの記事には第三回(元)心臓病仲間の集まりについて書いて頂きました。
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