越後人さんの回顧録 Part 1

南淵先生の心臓手術を昨年七夕の日に受けられた越後人さん。術後暫くしてからの外来ロビーで初めて会った。大手術にも関わらず大変元気そうな容姿と話っぷりを見ていた私には、彼の次のメッセージは意外であった。

「(手術から)1年経った今、ようやく気持ちの整理がつき書き始めました。」

そして、SNS上で公開を始められた「回顧」シリーズ。なかなかに臨場感を感じられる文章に引き込まれたので、是非当ブログへ転載の許可をとお願いしたところ、了解を頂いた。

心臓手術を受けるかもしれな方々にとっても大変参考になる回顧録である。現在、「その21」まで執筆が続いており、まだまだ継続されそうな様子だ。まずは、「その5」までの内容を転載させて頂きたいと思う。越後人さんへのご感想など、是非コメントにてお寄せ下さい。

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◆回顧 その1

昨年の今頃はこれからの将来、いや、明日も生きてる事が出来るのかと不安な生活を送っていた。
そんな暮らしの中での心のより処は妻や娘、いわゆる家族だった。
  
... 一週間後に入院、手術を控えてた私を、彼女たちはいつも励まし元気を与えてくれた。

それから7月に入り闘病生活が始まったわけだが、ここから経験した事のない苦難・苦労が家族を襲った。しかし、それをも救ってくれたのは妻と娘でした。ここで細かい事を書くのはやめとくが、妻や娘に沢山勇気をもらった事はまちがいない。

胸の傷を見る度にそう思う。

◆回顧 その2

『病院選び』
遡ること3年前。少し病気を患い、県立ガンセンターへ入院、手術をする羽目に。
手術の前日、色々な検査を終えた直後、内科から呼び出し。
突然、アナタは心臓病ですと告げられた。しかも、近い将来必ず手術が必要ですとまで言われた。
青天の霹靂とは正にこの事。
翌日に手術を控えてた私は少なからずもショックを受けたが、そんな事も考える余裕もないまま手術を受けた。
それは当然のように成功に終わったが、喜んでる暇もなく頭の中は心臓病の事でグルグル。

1週間後、めでたく退院となったが、そのまま紹介状を持って他の病院へ。


◆回顧 その2(続編)

行った先は某所の総合病院。紹介状があり外来もスムーズに通され、医者と対面。
病名は『大動脈弁狭窄症』と告げられているので事前に予習はしていた。
今後起こりうる症状、その先には必ず手術が待ち受ける。また、手術のタイミング設定が重要な事も少なからず知っていた。

ところが、その医者は私の検査データ等を見ながらつぶやいた。

「この程度なら平気。倒れたら考えましょう」

はぁ??

私はこの病気は突然死の可能性、また予期せぬ失神がある事もリサーチ済み。
しかも、失神後の予後は非常に危険であることも知っていた。

「先生、倒れてから遅いじゃないのですか?」

「う?ん。大丈夫。たいした事ないから」

1回目の外来で担当医者に不信感をもったのは言うまでもない。

その後、2、3回通院したが、特に検査(血液、心エコー等)もするわけでもなく、ただの面接みたいなもの。

ある程度、病気について勉強をしてた私にとってこの医師への不信感が大きくなり、ついにはその病院内で医療相談を申請した。

担当は、医院長。
私は、自分の知識、経過、何よりも担当医の対応の不満、不信感を訴えた。
1時間程の相談後、医院長は言った。
『担当医には私から注意します。』

注意??なんだろ??

しかし、今より改善されるなら良いと思い、次回の外来に期待を寄せた。

だが、何も変わってなかった。

私は決心した。この医者には私の命を託する値がない、このままじゃ飼い殺しされる…と。
それから、その病院へは一度も行く事はなかった。

◆回顧 その4(続編)

私は再びこの病気を見つけてくれた医師へ相談に行った。
折角、紹介状を書いていただいた先生には申し訳なかったが、経緯を話したらこのように言ってくれた。

『越後人さん。私は感動しました。紹介状ならいくらでも書きます。私に任せてください』と。

なんとも有難いお言葉をいただいた。
この瞬間、いい先生と巡り会えたと感動した。

それから、
現在も通ってる〇〇病院の循環器科内科の医師の元へ。
その先生は前の医者とは180度違う、とても親しみやすい先生。
素人である私の質問にもしっかりと応えてくれる。
何よりも、私の顔を見て話してくれる。
前の医者とは大違いだ。

約1年、その先生にお世話になった平成22年秋、私の身体に変化が起こってきた。
体のダルさ、息切れが顕著に症状として現れてきた。すぐさま、先生に相談したところ、『心臓カテーテル』検査をやる事になった。
それをすることにより、今の心臓の状態を把握することが出来る心臓病患者が避けては通れない検査。

結果…
弁口面積、圧較差、いずれも中症度、いわゆる手術適応の範囲まで達し、更に心臓をとりまく血管、冠動脈の一部(後回旋枝)が90%の狭窄(つまり)が発覚した。
病名『狭心症』

心筋梗塞を発症する可能性がある恐ろしい病気だ。

◆回顧 その5

しかし、手術適応に達したとしても今すぐの状況ではないが、
心臓手術が現実味をおびてきたのは間違いない事実。
このあたりから手術への不安、そして『命』について意識し始めた。

それから5ヶ月後の4月、担当医から初めて『手術』という言葉は発せられ、自分の中に緊張感が膨れ上がった。と、同時に不安もあったが、ワクワクするような不思議な感覚もあった。

先に述べた意識とは、
私にとってイコール(=)準備。
その準備が始まった。

自分の病気を完治するために行う手術…
『大動脈弁狭窄症』における術式は、
心臓内部の大動脈部分に血液を送り出す弁があり、
1日に何万回も開閉を繰り返す。その弁が健康な方と比べ私は、1/3程度しか開かない。水道の蛇口にゴムホースをつなげ、途中で折り曲げると中の圧力が上昇し膨らみ破裂しそうになる、簡単に言えばこんな状態。
その部分を修復する手術だ。
修復する方法として、
①その弁を動きやすく形成する方法
②弁を取り除き、豚や牛の心膜をいれる方法
③弁を取り除き、炭素成分を入った弁を入れる方法(機械弁)
がある。
①~③どれも現実に行われてる手術だ。
どれを選択したかは後で述べるが。

そして、一番重要なところが病院選びだ。
何度も書いたが、予習はしっかりやった。
調べれば調べる程、心臓血管外科は特殊。
術中死も他の外科手術に比べ50倍と聞く。

私の性格上、自分が主役になる手術(イベント)は自分でシナリオを作りたい。
そう思い、あれこれ調べた中で、ある一人の外科医に辿り着いた。

その外科医とは南淵明宏医師だ。
年間200以上の手術を行い、世間では『神の手』といわれる凄腕外科医。
※今年の2月、天皇陛下が手術を受けられた日、各局のニュース等で解説されてた方です。

南淵医師の経歴、本、あらゆる情報を得た私は南淵医師に興味、そして執刀ならこの先生しかいない!と考えた。

己のイベント(手術)を成功される為、すぐさま勤務されてる『東京ハートセンター』へ電話をした。
それは5月下旬の頃である。

つづく・・・

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掲載ありがとうございます。恥ずかしいですけど。

一連の流れや心情を記憶を掘り起こして書きました。長文、駄文ですが正直に綴りました。
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Author: カムバックハート

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カムバックハートこと、鍋島と申します。神奈川県川崎市在住の48歳男性。

2008年12月に僧帽弁形成手術を受けて、第二の人生をスタートさせることができました。

南淵先生と私

南淵先生と私(術後の初外来にて)

フィルムで写真を撮るのが趣味です。(元)心臓病仲間のポートレート写真展の開催に向けて準備中です。詳細はこちらの記事。「創と私」「術前 vs 術後比較ポートレート」「病気を支えた家族と(元)患者のツーショット」「笑顔の(元)心臓病仲間のポートレート」のテーマで作品制作中です。これから心臓手術を受けるかもしれない人達に元気になる期待と勇気を与えたいと思っています。

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このブログは、私が弁膜症の僧帽弁閉鎖不全症という病気に診断されたところから、入院、手術、退院、その後の生活という流れで時系列に記載しています。2008年12月当時の状況ですので、その後の医学の進歩で内容的に古くなっている部分があるかもしれません。実際の患者にしか分からない心理的な面の記述をできるだけ表現したつもりです。最初から読まれる場合は、「★はじまり ~こちらからご覧下さい~

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南淵明宏先生の公式サイトにある「勇患列伝」 その7に出てくる「平松」とは私のことです。

yomiDr.のサイトにある世相にメス 心臓外科医・南淵明宏ブログ にこのブログのことを書いて頂きました。こちらの記事には第三回(元)心臓病仲間の集まりについて書いて頂きました。
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