越後人さんの回顧録 Part 2

越後人さんの回顧録 「その6~10」です。

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◆回顧 その6

東京ハートセンターには、心臓コーディネーターという方がおり、どうやら私のような心臓病患者の相談にのってくれるみたいだ。担当が深津さんという方なので電話を繋いでいただいた。

明朗で優しい声の持ち主の方だ。
私の病状、そして南淵医師に診察していただきたい事をハッキリと申し出た。
いわゆる、セカンドオピニオンである。
話はトントン拍子で進み、いとも簡単に2週間後の外来予約ができた。
凄腕外科医との評判の医師なので、多少の待ちは覚悟していたが、
いささか拍子抜けした。

6月中旬の月曜日、
その日がやってきた。
病院は、山手線大崎駅より徒歩10分圏内。
迷う事もなく到着。
第一印象は割と小さめな病院だな…。
受付をするため中へ入ったら驚き。
あまりにも静かで総合病院のような騒がしさが全くない。
しかも、待合室には絵画やピアノまでが置いてある。都会の病院はすごいなと驚くばかりであった。

それから検査を行い、
いよいよ南淵医師との対面。
身長180cm以上あり、
かなり大柄な先生だ。しかし、強面ではなく優しい表情の持ち主。更に、香水のかおりが。
隣には、『深津』というネームプレートを貼ってある女性だ。
そう、私が初めて電話相談を入れた時の方です。
(いつもニコニコしてます。先生も)

先生は、持ち込みしたデータと検査結果をみてた。

おもむろに、且つ優しい口調で切り出した。

『南淵です』…と。

しかも、
名刺まで差し出した。
患者として医師から名刺をいただいたことは一度もない。

『越後人さん、新潟から?僕の患者さんでも佐渡とかから来られた方もいるのですよ』

『新潟はね? そうそう、僕、歴史すきだから…上杉藩が…』

他、病気とは全く関係のない会話が続いた。

『う~ん…』

次は何の話題かな…
ワクワク

『だいぶ悪いね。心臓』

おっと、本題。

『僕のところに来る患者さんのほとんどは、手術なんかまだまだだよと言われる事を期待してくるんだよ(笑)』

…。

『越後人さんは、もうやった方がいいなぁ』

…、覚悟はしていた。

『先生、そのつもり、その為にここに来ました。(手術)お願いします!』

先生は深津さんにスケジュールの確認をさせた。

『越後人さん、来週どうかな?♪一週間後』

絶句…

『…先生。来週というのはチョッと…。仕事の段取りや準備もありますので、7月あたりが…』

先生、再度スケジュール確認。

『じゃ、7月7日(木)どうだい?おっ、七夕で縁起がいいなぁ』

『そうですね?(苦笑)。それでお願いします』

こんなやり取りで手術が決まった。

入院日
平成23年7月4日
手術日
平成23年7月7日

◆回顧 その7

イベント(手術)が決まり、普通ならそれが待ち遠しくなるのが人間。
だが、さすがにこのイベントだけは回避したかったのも事実。
しかし、刻々と日は経っていく。

そんな秒読みの生活の中で私を襲ってきたのが『恐怖』だ。
手術への恐怖、痛みへの恐怖、ましてや知らない土地での入院生活。
そして、最大の『恐怖』は『死』である。
いくら凄腕の先生とはいえ、人間が行う作業。100%成功はあり得ない。
当然ながらネガティウ゛な方向ばかり考えてしまう。
しかし、このネガティウ゛な状況だからこそ重要な事に気がついた。

『準備と覚悟』

この言葉である。

私は妻に伝えた。
『南淵先生だからきっと上手く行くはず。信頼してるから平気だ。でも、何かあった時の判断は君に委ねる。
君の言葉は俺の言葉。だから、堂々としてればよい』…と。
また、娘は状況については理解できないが、
大変な事があると思ったのか、精神的に不安定な感が見受けられ、私が入院する前後1週間、学校をお休みさせる事をお願いした。
これにより、
自分勝手かもしれないが、娘までも東京へ連れて行く事が可能になり、
正に『鬼に金棒』。
この時点で手術の成功は約束されたと今では思う。

面白いものだ。
こんな準備をしたら、いつの間に『覚悟』も出来、ネガティブな自分が消えて行き、
イベント(手術)を楽しむという感になっていった。
そして、いよいよ入院の前日(7月3日)、妻と二人で東京へ(娘は後日合流)。
その日は、新宿のホテルで宿泊だったわけだが、
『あの…少し麻雀したいから、雀荘へ行ってきてよいかな…?』

馬鹿げた私の発言に対し、『いいよ、行ってきな』と言ってくれた。
※ホント、お馬鹿な俺。すまん…。

その夜、偶然なのか運命というべきなのか、
テレビをつけたら『Mr.サンデー』に南淵先生がコメンテーターとして出演されてた。
まさか、このタイミングでテレビ出演とは…しかも生放送。

『明日、外来で待ってますよ』というメッセージだと勝手に受け止め、
明日からの入院に備えるべく、早めに眠りに就いた。

◆回顧 その8

7月4日
いよいよ入院の日がやってきた。ホテルの部屋から見下ろす風景は、出勤前の人たちで溢れているようだ。これが日常なんだろうなとフト思う。
そんなあたり前の生活は暫く出来ないな…と都会の喧騒を眺めながら再認識。

昼前に出発。梅雨明けしてないが、外は猛烈に暑い。途中、大崎駅近くでランチをとる。それから、病院で退屈であろうから本を購入(マンガも)

購入本(もちこみも含む) 心を整える
・日本中枢の崩壊
・患者力
・異端のメス
・リングにかけろ
・天牌
・近代麻雀

書店へ寄ったりしてるのは時間を延ばすためだ。
しかしながら、時間はやってくる。

午後1時前、汗だくになりながら病院到着。
受付を済ませ、暫く待った後、
『越後人サマ?』
呼ばれる。

病室の準備は出来てないらしく、先に検査から始まった。
妻は待合室でかなりの時間待ってたらしい。

簡単な検査を終え、ようやく病室へ案内される。
看護婦さんとエレベーターに乗り到着。病室は3階。
何度も入院は経験してるが、ナースステーションの前にくるとやたらと緊張する。

病室は予めお願いしてた個室。入院は個室が一番が持論だ。経験則によるものである。
中は案外広く、綺麗だ。快適な入院生活を送れそうだ。病棟も歩いてみたら、ラウンジあり、中庭テラスがありと光がたくさん入ってくるような造りだ。

少し疲れたのか、部屋で昼寝をし気がつけば夕方。妻も疲れてるようだ。
これから沢山の苦労や精神的・肉体的にも負担をかけることは予想できる。
そこが気掛かりだった。
しかし、
妻は毎日足を運んでくれて私を勇気づけてくれた。
もちろん、
今でも感謝してる。
彼女なしではこの病気を克服出来なかったであろう。
翌日も検査の連続。
採血、心エコー、心電図、全身のCTスキャン、動脈硬化の検査、更に心臓回りの状態をカラーで診れるマルチスライス画像(造影剤を入れる)。
ありとあらゆる検査だ。

そして、手術前日。
この日は南淵先生からの最終的な手術の説明があり、新潟から両親も来た。

ラウンジでコーヒーを飲みながら寛いでいる。
そばには、手術をされてるご家族の方々が待機されてるようだ。

先生からの説明がありますからと、看護婦さんがやってきた。
部屋へ通されると、
体の大きい南淵先生がどんと座っていた。隣には深津さんの姿も。

おもむろに優しい口調で語り始めた。

『う~ん、まぁ、…検査したらいくつか悪いトコがありましてね?』

『大動脈弁たけど、越後人さんとは話をしてたので、機械弁を入れますね。』

ごそごそと現物を出した

『うん…これね…弁でしよ。これでウン百万です(笑)。200年もちます(笑)』。

『日本の医療制度がいいから、ウン百万円する弁も、ちょっとの金額で済むんだよね?ウンウン』

私も…うん、うん。

それと、
先生が図を描きながら説明。
『ここの血管(上行大動脈)に瘤があるんだよね。これ、破裂したら大変だから人工血管に取り換えます』

それと…

まだあるの…(苦笑)。

『狭心症もあるから、バイパスも1本作っちゃいます』

いやはや、大手術になりそうだ。

両親はどれくらい時間がかかるのですか?
と質問。

『う~ん…そうですね? 6時間くらいかな?』

『結構難しい手術なので、かなりの出血も予想されます。その時は輸血の手段をとります』

私は先生に言った。

『先生、俺、結構運がいいから大丈夫だと思いますよ。七夕だし(笑)』

先生も切り返し、
『僕も運がいい方だから』と。

こんなやり取りをし説明が終わり、私も妻も両親も全員が納得し同意書にサイン。
これで明日の手術は決定したのである。

[手術予定日]
平成23年7月7日
午前9時開始

内容
・大動脈弁置換術(機械弁)
・上行大動脈人工血管置換術
・冠動脈バイパス術

夜になり、妻や両親は近くのホテルに帰った。
私はプロ野球をみたり、本を読んだりとリラックスしていた。
いつの間に不安や恐怖は消え去り、落ち着いてた。
明日のイベントを楽しむという思いでいっぱいであった。
そして、闘う覚悟も備わっていた。

当然のことながらその日はぐっすりと眠る事が出来た。

さぁ、いよいよ決戦だ!

◆回顧 その9

朝がやってきた。朝5時頃に起床。天気はよさそうだ。
いつもの様に看護婦さんが朝の巡回。
採血、血圧測定、検温、体重等をチェック。
かわりないようだ。
本日は手術。
その準備の為か、点滴を繋げられる。
前日の夜、術後はICUで過ごさなければならないので自分の持ち物はバッグに詰め込んだ。
もちろん、朝食はナシ。
水分もとってない。

部屋でその時を待ってたら、南淵先生がやってきた。『どうですか??』と。
私は、先生おねがいします…と一言。

朝8時頃、妻、両親がやってきた。
不安の裏返しなのかやたらと喋る。
しかし、私は覚悟はもちろんの事、南淵先生や病院スタッフの方々を信頼してる。
自分が納得できる治療を受ける、受けたいが為にここへやってきた。
完治を目指す今日、この日が自分自身にとっての『肝』だ。
イベントを間もなく迎える私は、深い深呼吸をした。
午前8時半、ついにその時がやってきた。
私はストレッチャーに横たわり、上を見上げれば妻や両親の顔。前後には看護婦さん。片腕には点滴。
病室から2階の手術室まで搬送。さながら、ドラマの場面と被る。
エレベーターで2階に降り、ご家族の方はここまでですと告げられる。
母は不安そうだ。
妻は、別れ際に巨人の原監督ばりのグータッチ。
にこやかな表情だが、
誰よりも一番心配してることはわかってる。

心配するな。必ず戻って来る…。
心の中で誓った。

手術室に入室。
看護婦さんに眼鏡をかけたまま入室する事をお願いしてたので、周りの様子を観察。
中は少々寒い。
スタッフが7人程度か。これがチーム南淵かと思うと感心する。
私は自力で手術台に横になり、
その場で『越後人です。本日は宜しくお願いします!』と挨拶。

手術台で横になった私を、ドラマでみかけるライトが私を今、正に照そうとしている。

いよいよ…だな。

麻酔科の先生なのだろうか、私の耳元で呟いた。

『今、これをあてますね。眠くなるかもしれないけど』

おっ、麻酔か…。
絶対、墜ちねーぞ
抵抗してやる…。

目の前に閃光が走った…

んっ…なんだ…

7月7日(木)
午前9時

◆回顧 その10

う~、 くっ、苦しい。助けてくれ~。このままじゃ死んでまう…。
く、苦しいよ~……。

私はうなされていた。
夢なのか現実なのか区別がつかない。
ただ、苦しい…助けてくれ~と。

ピンポ~ン がやがや…
人の気配がする。
薄暗い明かりがボヤケた感じで見える。

覚醒…。

記憶は曖昧だが、
なんとなく覚えている。

そこはICU。

看護婦さんに聞いた。
『今、何時ですか…と』

『夜中の12時ですよ』

あっ、俺、生きてる…。

それだけは認識できた。

よかった…

さっきの苦しい記憶は、
口に挿管されてた管が邪魔で仕方なかったみたいだ。記憶を整理したら、
医師がそれを抜きますよ~と話かけた事はなんとなく覚えてる。
それから呼吸も楽になった。

覚醒後、看護婦さんが氷を口の中へ入れてくれた。
そして、少量だが水をいただいた。
それは、今までで一番美味しい水。普通のミネラルウォーターかもしれないが、私にとって魔法の水。
それくらい美味しかった。
夜中の12時という事は、15時間も眠っていたのか…。

また、私は眠りにつく…

朝になり、
私は妻に電話を入れて欲しいと看護婦さんにお願いした(記憶は曖昧だが)。
妻は朝の7時頃の病院からの電話に驚いたらしい。
当然だ、手術を終えたばかりの病院から連絡が来るなんてろくな事がない。

しかし、電話口はまさかの私。
会話は…言えない。

推測するに、私は『終わったぞ~、生きてるぞ~』と直接妻に伝えたかった行動だと思う。

程無くして、妻や両親が面会に来た。場所柄、時間は制限されてるから一時の会話。
みんな安堵の表情だ。

どれだけの手術、内容、経過だったのか。

〔手術時間〕
午前9時~夕方6時頃終了

〔手術経過〕
①全身麻酔を施す
②正中切開
喉ボトケの下あたりから、へその上まで切開
③胸骨切開
胸骨を縦に割る。簡単に言えば骨折状態
④心膜切開
心臓の上に膜があるのでそれを切る。

※ようやくここで心臓に到着。
⑤人工心肺をとりつける為の作業。
⑥人工心肺装着→ON
※所謂、心停止状態。私は機械で生かされてる状況
⑦大動脈弁(機械弁)装着⑧上行大動脈人工血管装着※ここで人工心肺装置を解除。
心停止時間130分
⑨動いていない心臓が蘇生する
⑩心臓が動いてる状態で、バイパスを作る
(オフポンプ術。天皇陛下も同様の方法でバイパスを作ったはず)
⑪閉胸

こんな感じで進んだみたいだ(DVDで確認済み)。

妻や家族は病院内のラウンジで待機してたみたいだ。そうだ、南淵先生の説明の時、手術をされてるご家族の方が待機してるみたいに。
15時頃、南淵先生がやってきたらしい。間もなく終わります、上手くいきましたと報告に来たみたいだ。その時、
何故か私の家族は南淵先生と写真を撮ったみたいだが…。

夕方、手術は終了しICUに戻った事を告げられ、妻や両親は私の顔を見に行ったらしい。
麻酔が効いてる私はというと、口には挿菅、首には管、両腕には点滴、ありとあらゆる場所に管があったらしい。
表情もかなり苦しそうだったとの話。
映画やドラマで手術を終えたばかりの人は、何事もなくキレイな感じがするが、それは嘘ッパチ。
それほど酷い顔だったらしい。

とにもかくにも、
手術は無事に終了。

つづく・・・

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Author: カムバックハート

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カムバックハートこと、鍋島と申します。神奈川県川崎市在住の48歳男性。

2008年12月に僧帽弁形成手術を受けて、第二の人生をスタートさせることができました。

南淵先生と私

南淵先生と私(術後の初外来にて)

フィルムで写真を撮るのが趣味です。(元)心臓病仲間のポートレート写真展の開催に向けて準備中です。詳細はこちらの記事。「創と私」「術前 vs 術後比較ポートレート」「病気を支えた家族と(元)患者のツーショット」「笑顔の(元)心臓病仲間のポートレート」のテーマで作品制作中です。これから心臓手術を受けるかもしれない人達に元気になる期待と勇気を与えたいと思っています。

心臓病仲間の輪に入りたい方や、ブログについてのご質問、お問い合わせのメールはお気軽にこちらへ どうぞ。但し、私は医者ではないので医学的なご質問にはお答えできません。初めての方は簡単なプロフィールをお願い致します。

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ブログ開設: 2008年12月
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南淵明宏先生の公式サイトにある「勇患列伝」 その7に出てくる「平松」とは私のことです。

yomiDr.のサイトにある世相にメス 心臓外科医・南淵明宏ブログ にこのブログのことを書いて頂きました。こちらの記事には第三回(元)心臓病仲間の集まりについて書いて頂きました。

このブログは、私が弁膜症の僧帽弁閉鎖不全症という病気に診断されたところから、入院、手術、退院、その後の生活という流れで時系列に記載しています。2008年12月当時の状況ですので、その後の医学の進歩で内容的に古くなっている部分があるかもしれません。実際の患者にしか分からない心理的な面の記述をできるだけ表現したつもりです。最初から読まれる場合は、「★はじまり ~こちらからご覧下さい~

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