越後人さんの回顧録 Part 3

越後人さんの回顧録 「その11~15」です。

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◆回顧 その11

手術終了から15時間後の朝(7月8日)、私は記憶が整理できる程、覚醒していた。
8時頃、妻が面会にきてくれた(その前に看護婦さんにお願いし、電話をした)。
妻は私の手をとり何度も
『よかったね~がんばったね~』と言ってくれた。
妻の笑顔と、少し潤んだ目を見てたら、
私も泣きそうになったのも事実。

『俺、生きてる…』

妻と少し話をした。
昨日の手術中、横須賀から叔母夫婦、埼玉から叔父夫婦も駆けつけてくれて、
みんな待っていたよ…と。私がICUに戻ってきた時、全員で顔を見たとか…。

その日の担当看護士さんが挨拶に来た。今村君という男性の方。なかなかのイケメンだ。
夜中に私の世話をしてくれた方は誰なんだろ…、
そんな事を考えた。私が、『水を飲みたい、下さい』とお願いすると、飲ませてくれた看護婦さんは…。
天使のような看護婦さんは?

今村くんがベッドから体を起こしてくれた。
鼻には酸素を通してある。これがまた心地よい。
起こされた私は、歯磨きをして下さいとそれを渡された。
妻が言うには、
普通にやってたつもりが、スローモーション的な磨き方だったらしい。

朝の食事がきた。
ゼリー1個。これだけであるが、なかなか旨い。
そんな中、恒例の朝の回診。理事長、医院長、医師、その他関係者。もちろん、南淵先生の姿も。
理事長はいつも同じ事を聞く。
『どうですか?』と。このフレーズは退院まで変わらなかった(毎日)。

お昼前の時間帯、ある人物と初めての出会いがある。
理学療法士の徳田雅直先生だ。この先生とは退院後の今でも交流がある。
それについては後程述べるが、この入院生活後半はこの先生のご指導があったからこそ今があるとそう思う。

『越後人さん、理学療法士の徳田です。今日からリハビリ頑張りましょう!』

手術翌日からリハビリを始めるとは聞いていたが、
本当なんだな。
最初に始めた事は、
自力で痰を吐く作業。これがまた切ない。胸骨を縦割りにしたわけだから骨折状態。
胸を手で被せ『カァ~カァ~…ペッ!』
血が混じった痰が出てきた。
本当に痛くて切ない。
この胸骨の痛みは1ヶ月は続いた。

次に、ベッドから自力で起き上がる練習。これがまた上手くいかない。昨日まで普通に生活してたのに、一夜にしてこの有り様。
しかし、先生の教えを忠実に守り実践。
この小さな積み重ねが大事な事は、野球チームの後輩から聞いてる。

最後に、少し歩いてみましょうと言われた。
そんなの簡単だ。
体を支えてもらいながら、足を地につけた瞬間、右足付け根に痛みが走った。

痛い…なんだ!?

人工心肺で管をそこから通したので切開したらしい。傷は今でも残ってる。
そこから20メートル程、ゆっくりと歩いた。
フラフラである。
血圧も脈拍も上昇。

更に鏡をみたら自分の姿に絶句。
首に管が2本、両腕には点滴、お腹から管が3本(中の血を抜くドレーン)。
片手で持つ、点滴が数本ぶら下がってる機械を運ぶ姿は、提灯をつけたシャギリそのもの(笑)。
また、顔は浮腫んでる。
因に、手術後一晩で体重が6キロアップ。

これは、大変である。

しかしながら、
この心臓リハビリが退院、社会復帰するための重要なステップであることは知っている。
その1歩が始まった。

◆回顧 その12

手術の翌日から心臓リハビリが始まったわけだが、
大抵の人は心臓手術後にすぐさまリハビリを行う事に驚かれる。
昨年の10月に私と同じ病気で手術された俳優武田鉄矢さん、今年の2月は天皇陛下。
皆様も同様に即、心臓リハビリを始めたはず。
これを行わなければ社会復帰はかなわない。

術後の経過は初日としては良く、ICUから一般病棟へ戻る予定であったが、部屋の調整がつかずCCUへ移動。
そこでもう一泊となった。
看護師さんが目の前を行ったり来たりと大変忙しいそうだ。
それを眺めながらテレビを観たりとかなりリラックス。
時折、痰が詰まるので、それを吐き出すわけだが、本当に痛い。
くしゃみや咳が出た時の事を想像すると恐ろしい。

術後2日目の午前、一般病棟へ戻ることになった。『みなさん、お世話になりました!もう、ここへは戻りたくないです(笑)!』
そう挨拶した。
しかし、術後すぐの私をお世話してくださった看護師の工藤さんにはとうとう会えなかった。
これが少し心残りだ。

午後から、リハビリの開始。徳田先生が病室にやってきた。
本格的に始めるとのお話。心電図モニターを装着し、歩行訓練。
病棟を一周。
足がおぼつかない。
脈拍130、血圧も135/90と上昇。
しかし、今までリハビリは数をこなしてきた自負がある(いらないか…(笑))
左膝前十字靭帯断裂、右アキレス腱断裂(2回)。
どれも大変だった。
だからこそ、リハビリの重要さは百も承知。
積み重ねが大事だ…と。

その時の姿を妻が写真で納めてある。
また、徳田先生とのツーショットも。
私の顔はパンパンと膨れあがっている。
アンパンマンのようだ。

また、身体にはたくさんの管がある。
ひーふーみー…

7本…。

全部外れるまでどれくらいかかるのだろうか。

心臓リハビリは始まったばかりだ。
退院はまだまだ先であるが、復帰へのスタートを踏み出すことができ、また、明日からの目標、意欲が湧いてきた。

◆回顧 外伝

私は手術前にある方とコンタクトを取った。
その方は、私と同じ(元)心臓病患者。心臓病について調べてたらその方のブログと出会った。
Nさんと呼ばせていただこう。
...
Nさんの主治医は、私と同じ南淵先生だ。
病気の発覚から入院、手術、退院後、そして現在の様子まで事細かく書いてある。

これから未知の領域へ踏み込む私にとってNさんの存在は大変に有り難く、たくさんの勇気をいただいた。
そんなNさんとは術後から交流させていただいてる。そして、Nさんから発信されてる『(元)心臓病患者の仲間』の集会にも参加した。

これから心臓病、心臓手術を考えてる方々には大いに参考していただきたいブログです。

Nさん、本当にありがとうございます。
これからもお付き合いの程、宜しくお願いします。

◆回顧 その13

術後3日目は日曜日ということもあり、院内は静かな感じがする。
恒例である朝の回診もなし。
だが、術後の私は心臓リハビリ中の身。しっかりと宿題を渡されていた。
...
その日の午前中、平沼先生が(心臓外科医)が来てくださった。年齢は30才くらいか。若い先生だ。
この平沼先生、日中はもちろんの事、夜、夜中、朝といつでもいる。
睡眠はしっかりとれてるのかと心配になるくらいだ。
先生は、私の首に刺してある管2本を抜いてくれた。これで少し楽になった。
その後、看護師さんが尿管も外してくれた。
この尿管を外す事となり、一つの仕事が増えた。
尿の量と摂取水分の管理を自分で行う事だ。
所定の用紙に記入するのだ。
摂取水分量はこれくらい摂ってくださいとは言われてある。
この日は体調も優れ、日曜日でなので、お見舞いに来てくださった方と談話を講じていた。
しかし、アクシデントが…。

先にも書いたが、すこぶる調子が良かった。
ただ、水分を摂取してなかった。用紙には350ミリリットル。全く少ない。しかも、尿の量は3500とかなり多い。夕方になりベッドで横になっていたら突然、
ドクッドクッドドド…

あれ…おかしいぞ。首のあたりで脈が強く打ってるぞ。あれれ…

ナースステーションで遠隔機器で管理していた看護師さんがかけつけた。
『今、先生を呼んできますね?』

若手医師の平沼先生だ。

心電図モニターや脈をとる。

どうやら『不整脈』だ。

初めての経験。
首のあたりがブルッブルッと不規則に動いていた。

少し、恐怖を感じた。

脈拍は190/分。1分間で190は相当だ。健常者なら60~80であろう。

これが『不整脈』か…

そんな不安を抱え、薬は投入したもの、それが一晩中続いた。
眠りにも就けず、朝を迎えたが時折やってくる『不整脈』は収まらない。

どうなるのだ…

◆回顧 外伝part2

入院中、とても感動した出来事があった。
私の手術日は7月7日。
世間一般的には『七夕』の日にあたる。
彦星さま、織姫さまのお話しだ。

娘は当時、春に入学したてのピカピカの1年生だ。私が入院の為、しばらくの間、埼玉の親戚でお世話になってた。

娘が病院に来たとき、なにかを紙に書いてる姿があった。

『なにしてるの?』

『ないしょだよ!』

ふ~ん、そうか。
でも、病院だから騒いじゃダメだよ…。

手術後、ICUから一般病棟へ戻った時、
妻が私に言った。

『ナースステーションにいいものがあるよ』

なんだろ…?

そこには、
七夕という事で小さな竹竿があった。

その中に、

『パパがはやくげんきになりますように
○○○ ○○○ 』

言葉にならないほど感動した。
娘の思いをしっかりと受けとめ、娘の為にも生きなければならないと心の中で強く誓った。

◆回顧 その14

朝になっても収まる気配がない。
俺の心臓、どうしたんだ…?お願いだから機嫌をなおしてくれ…。

朝の回診前、先生方がぞろぞろと部屋にやってきた。平沼先生、中川先生、奥山先生、看護婦さん。
チーム南淵の面々だ。
ベッドに横たわっている私の周りを囲んでる。

奥山先生が私の首周り、頸動脈付近をさすってくれた。
不整脈が一瞬消えた。
魔法の手か。

しかしながら、
再度不規則に打ち始めた。すると、奥山先生が看護師に何かを持ってくるようにと指示を出す。

なんだろ…

先生が私に言った。

これから電気を通します。背中がビリッとしますよ。

お臍の上に3本の管がぶら下がっているが、そのうちの1本に機械をセッティング。

じゃ、いきますよ?

おっ…背中の肩甲骨あたりがビリビリする。
子供の頃、電気ショックで悪戯してた感覚だ。





なんと、脈が正常になった。

これで、大丈夫だと思いますが、様子を見てましょうとの事。

『これは一過性の症状なのですか?それとも、今後も頻繁に起こりうるのですか?』と質問。

『おそらく、一過性の不整脈でしょう』

それ以来、不整脈は出てない。
同時に不整脈の怖さを体感した1日であった。

また、今回の考えられる原因は、水分摂取と尿の排出量のバランスも考えられると。
その日よりしっかり水分摂取を始めたのは言うまでもない。

◆回顧 外伝part3

私が入院中、遠方からはるばるお見舞いに来てくださった方がおります。
Iくん、Sくん本当にありがとうございます。
初夏とはいえ、とても暑かった東京。君たちの汗だくで顔を真っ赤にし、病院に来てくれたあの顔は忘れられません。
本当にありがとう!

野球の仲間の中に、理学療法士2年目のS君がおります。
そのS君はとても努力家、勉強家なのですが、そのエピソードを。

入院前、S君から電話がありました。
『越後人さんが入院される病院に、徳田先生という理学療法士の方がおられますか?』と。

『あぁ…いるみたいだね』
聞くところによると、
徳田先生は心臓リハビリのプロフェッショナルだという。
また、S君は徳田先生の講演を受講した経験があるらしい。
手術が終わったら、お見舞いとリハビリを見学させてくださいと、彼が言ったので、
『いつでも来い!』と話した。

S君は本当にやって来た。

『もうすぐリハビリが始まるから見てな。徳田先生には終わったら紹介するから』
S君は、リハビリ中の私をしっかりと見学、勉強してる様子だ。
病室に戻り、
『先生、S君です。実は、理学療法士2年目のひよっこでなんです。見学したいというので山形県から来たのですよ。しかも、先生の講義を受けた事もあるらしいよ』

S君は緊張した面持ちで、『と、徳田先生。は、初めてまして。す、Sと申します』

ププッ

病室で3人でしばらく談話。
徳田先生がおもむろに名刺をS君に差し出した。

『いつでも連絡ください』と。

S君は、ひよっことはいえ、理学療法士。
自分がやりたい事はなになのかと悩み、模索していた。
私は、『どうだ!?徳田先生から指導を受け、心臓リハビリをもっと世に知らしめるのも選択肢としてあるんじゃないか?』とハッパをかけた。

そのSくんは、
勤め先を変えた。今年の春から新天地で患者さんの為に頑張ってるはず。

徳田先生から頂戴した手紙を胸に…。

がんばれ。
S先生。

◆回顧 外伝part4

手術を終えた数日後、ふと携帯を開き、ある方のブログを読んでいた。

そのブログは、私が住んでいる町の情報や趣味といったバラエティーに富んだ楽しいものである。
以前よりそれを読んでいたわけだが、
入院してる私にはとても感動的、涙が溢れる程の素晴らしい写真が載ってた。

それは、日本海の夕陽の写真だ。

海に沈む太陽は日本海でしか見る事が出来ない。
子供の頃から当たり前のようにそれを見てきた。
しかし、
何故だかその写真を見てたら涙がとまらない。

どうしてだ。手術も無事に終え、退院は目前だ。

年輩の方に聞いたことがある。故郷を離れ数十年。でも、そこへ戻りたくなると。

当たり前にみてた風景が、この先も当たり前に見る事が出来る。
今の私には刺激的なものは要らない。
ただ、日常の生活に戻りたい。普通に家族と暮らしたい。
もうすぐその願いも叶う。

そんな想いを思い出させてくれる
素晴らしい『写真』であった。


◆回顧 その15

手術後から手放す事の出来ないアイテムがある。
それは、胸骨をがっしりとガードする『ハートハガー』というものだ。
胸骨を縦に割り、それを閉じる。綺麗な骨折状態だ。
しかし、このアイテムを装着すると胸をがっちりと締め付けるので動きやすくなる。無くてはならない必需品である。

院内でこれを装着してる方は正中切開後なのだと一目瞭然。
ラウンジでの会話は
『手術はいつされたのですか』

これである。

この優秀なアイテム
『ハートハガー』は退院後、1ヶ月はお世話になった。

つづく・・・

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Author: カムバックハート

カムバックハートブログバナー

カムバックハートこと、鍋島と申します。神奈川県川崎市在住の48歳男性。

2008年12月に僧帽弁形成手術を受けて、第二の人生をスタートさせることができました。

南淵先生と私

南淵先生と私(術後の初外来にて)

フィルムで写真を撮るのが趣味です。(元)心臓病仲間のポートレート写真展の開催に向けて準備中です。詳細はこちらの記事。「創と私」「術前 vs 術後比較ポートレート」「病気を支えた家族と(元)患者のツーショット」「笑顔の(元)心臓病仲間のポートレート」のテーマで作品制作中です。これから心臓手術を受けるかもしれない人達に元気になる期待と勇気を与えたいと思っています。

心臓病仲間の輪に入りたい方や、ブログについてのご質問、お問い合わせのメールはお気軽にこちらへ どうぞ。但し、私は医者やカウンセラーではないので医学的なご質問にはお答えできません。初めての方は簡単なプロフィールをお願い致します。

当ブログ掲載の文章と画像の無断コピー、無断転用を禁止致します。

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ブログ開設: 2008年12月
お知らせ
このブログは、私が弁膜症の僧帽弁閉鎖不全症という病気に診断されたところから、入院、手術、退院、その後の生活という流れで時系列に記載しています。2008年12月当時の状況ですので、その後の医学の進歩で内容的に古くなっている部分があるかもしれません。実際の患者にしか分からない心理的な面の記述をできるだけ表現したつもりです。最初から読まれる場合は、「★はじまり ~こちらからご覧下さい~

コルコバード


南淵明宏先生の公式サイトにある「勇患列伝」 その7に出てくる「平松」とは私のことです。

yomiDr.のサイトにある世相にメス 心臓外科医・南淵明宏ブログ にこのブログのことを書いて頂きました。こちらの記事には第三回(元)心臓病仲間の集まりについて書いて頂きました。
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