越後人さんの回顧録 Part 4

越後人さんの回顧録 「その16~20」です。

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◆回顧 その16

私の病気は『大動脈弁狭窄症』だったが、
治療法として弁を交換する外科手術が必要であり、それを実行した。
この弁を交換するにあたり、患者はひとつの選択をしなければならない。
それは、『機械弁』『生体弁』のチョイスだ。
どっちでもいい、好きな方を選べばよい、医者に任せればよい、と簡単な話ではない。
予習はしたと何度も書いたが、この選択については少し考えた。
結論を導く為には、それぞれの特性を把握する事が必要だ。
簡単に説明すると、

『生体弁』
①ウシの大動脈弁やブタの心膜を使用。
長所は、
薬(ワーファリン)を服用が必要なく、毎月病院へ通い血液検査等の様々な負担が軽減される。
短所は、
耐久性が短いといわれてる(長くて15年程度か)。再手術が必要となる。

『機械弁』
合成樹脂、炭素を含んで作られた弁。
長所は、
耐久性に富み、一生それを使用できる(稀に交換もあるらしい)。
短所は、
薬(ワーファリン等)を毎日服用しなければならない。
その薬は血栓を出来にくくする役割がある為、出血時は止まりににくい。
納豆、クロレラは厳禁、食べてはいけない。

と、こんな感じだ。

当初は、
『生体弁』を入れば薬も飲まずに済む。そして、出血も気にしないでいい、再手術は55才くらいですればよいと安易に考えていた。
しかし、
再手術のリスクはかなり大きい事に気がついた。

決断は早かった。

『機械弁』をお願いし、それが入っている。
薬は毎日飲んでる。朝食を食べる事と同じ感覚。
別にどうって事はない。

『あの辛い手術は2度とごめんだ。やりたくない。』

私は『機械弁』を選択したことに対して納得している。
それは、紛れもなく自分自身で考え抜き、出した結論だからだ。

◆回顧 その17

手術から10日。
私の身体からチューブが外れた。最後まで残ってたのがお腹から3本の代物だ。
心臓周辺からのドレーン抜きみたいなもの。
特に痛みはなく、するする~と抜けた。
やっと身軽な身体に。
最大7本あった管が少しずつ抜けていく事は、
回復してる証拠であり、自分自身もそれを実感している。

リハビリも順調だ。徳田先生とのマンツーマン指導。
術後は20メートル歩行だけでフラフラしてた身体が、なんともない。
また、階段の登り降りもメニューに加わったが、そつなくこなす。

毎朝行う血液検査の結果も良好。

そんな身軽になった私の楽しみは、ワールドカップサッカー女子の試合をテレビで応援する事だ。
決勝戦は夜中にキックオフだ。部屋は個室なので消灯時間でも灯りはつけてる。
キックオフ前にロビーでコーヒーを買い、応援の準備。
観戦中、何度か看護婦さんがやって来る。
やはり気になるのだろうか、『今、どっちが勝ってるの?』
と何度も聞きにくる。

結局、終了まで観た。

その日、一日中寝てた事はいうまでもない。

こんな入院生活もありだ。大イベントを終え、経過も良好だ。
退院が現実味を帯びてきたことには間違いない。


◆回顧 その18

『不整脈』はアクシデントであったが、経過は順調である。3連休中、病院は休みであるが、病棟はお見舞いでいらっしゃってる方でにぎやかな感じがする。
妻や娘は新潟へ戻った。
すこし寂しい。
...
病院が休みといえど、朝に採血をし、午前、午後とリハビリを行う。

休み明けの回診時、
中川先生にいってみた。
『先生、そろそろ退院ですかね?』

『そうだね。採血の結果も良好だから、南淵先生に相談してみます』と。

入院前、南淵先生は大体、術後2週間程度で退院できると仰ってた。
その目安である2週間はもうすぐ。

もうじき退院か…。

やっと新潟へ戻れる…。

いよいよ退院へのカウントダウンである。

◆回顧 その19

7月19日(水)
朝、南淵先生が来た。

『あ~、越後人さん。中川先生から聞いたけど、明日…うん…退院いいよ』

有難いお言葉をいただいた。
直ぐに妻へ電話。
『明日、退院できる事になったよ。東京に来れる?』

『もちろん!』

これまた有難い言葉をいただいた。
退院といえど、
重い荷物は持てない。自力で歩く事もままにならない。胸は痛い。外は連日の真夏日。
誰かの手を借りなければ何も出来ない私。
(このジレンマについては後程)

私が頼れるのは妻しかいないのだ。

午後になり、翌日に退院ということで慌ただしくなった。
まずは、これからの生活の指導だ。
リハビリの徳田先生からいろいろなご指導を。
運動(ウォーキング)やトレーニング方法、そして東京ハートセンターでの『リハビリ卒業証書』をいただいた。
これは、苦しみながらもやり抜いた証だそうだ。
次に薬剤師さんから薬の処方。
最後に、栄養士である今村さんからの指導だ。
東京ハートセンターでの食事は今村さんのメニューである。私のような心臓病患者にとって『塩分』の過剰摂取はよくない。
当然ながら病院の食事は減塩食である。
しかし、ここの食事は減塩食といえど、とても美味しいのである。

1日の塩分は『6グラム』までと言われた。ラーメンをスープまで飲み干すと、これを余裕でオーバーしてしまう。
カレーライス一人前でもオーバーだ。
それだけ『塩分』は敵なのである。
その指導により、
塩分だけは今でも敏感になっている。

その日の夜、
消灯の時間を過ぎても部屋の灯りはつけてた。
どうしても眠る気になれない。
退院が決まり嬉しい事は間違いないのだが、
心臓手術をし、
この病室でも痛い思いもした。『不整脈』というアクシデントもこの病室で起こった。
先生、看護婦さん、スタッフの皆さん、とても親切にしてくれた。
それと明日お別れだと考えるとなんとも云えない気分になり、
センチメンタルな最後の一夜となった。


◆回顧 その20

7月20日
退院の朝を迎えた。センチメンタルな昨晩とは違い晴れやかな気分である。
また、外も清々しい陽気だ。まるで、私の退院を祝うかのような青空。
病院の周辺を散歩してみた。早い時間なのか人はまばら、カラスがゴミを漁ってる。都会の朝だと感心。

朝食を済ませ、シャワーを浴び、髭も剃る。
退院時の着替えは妻に用意してもらった。
紳士なオジサンがスーツ姿で退院される姿を何人も見送ったが、私は少しオシャレなカジュアルな服に着替える。着替えた瞬間、あることに気がついた。
ズボンが多少大きい。
入院時の体重が76キロ。
手術直後が81キロ。
退院時は69キロ。
減量が上手くいった。

10時半ころ、妻が到着。
迎えにきてくれた。こんなに早く病院に着いたという事は、新潟を早朝に出発したと容易に推測できる。
感謝という一言では済まされない程、有難い。

荷物をまとめ、
病室に別れを告げ、向かった先はナースステーション。
大変お世話になった皆さんに挨拶。
しかし、私の担当をして下さった吉田さんはお休みの為、挨拶が出来ず心残りである。
また、そこには中川先生もおられた。
この先生、まだまだ若い外科医だが、南淵先生に弟子入りし、日々外科医としての技量を磨いてる。
近い将来、スーパードクターになるかもしれない。
南淵先生が引退され、私が再度心臓病になった場合、この中川先生に診ていただきたいと思う。

そして、別れ際にみなさんと一緒に撮った写真は『記念品』である。

ナースステーション前のエレベーターで皆さんに見送られ1階のロビーへ。
退院手続きをしながら、
ある方を待つ。
その方は、理学療法士の徳田先生だ。
術後、一番お世話になった先生だ。
私が社会復帰するための基礎を教えてくれた。この先生がいたからこそ、
今の自分がある。
余談ではあるが、
東京ハートセンターを受診しようと考えた理由は徳田先生の存在も大きい。
術後のリハビリがマンツーマン指導。
こんな病院はなかなかお目にかかれない。

その徳田先生がやってきてくれた。患者さんのリハビリを中断してだ。
先生はどんな小さな疑問があったら電話を下さいと仰ってくれた。
(その後、数回電話をかけました)

ここでも、私と妻と徳田先生との記念撮影。

そして、
忘れてはいけない南淵先生と深津さんだ。
当然ながらお二方も忙しい身。しかも、手術中。

『先生、ありがとうございます!救っていただいたこの命、大事にします』と心に誓った。

埼玉から叔父が車で迎えにきてくれた。
それに乗り、東京ハートセンターを後にしたが、

私の中で一粒の涙。
なぜだろ…

短い期間であったが、
たくさんの経験をした。
生死を懸けた手術。
人工心肺で一度止まった心臓。
術後のICU。
辛かった不整脈。
キツイながらも楽しくできたリハビリ。

どれもこれも、
素晴らしい経験だ。選ばれし者しか出来ない経験。

たくさんの想いが詰まった『東京ハートセンター』。

私の第2の故郷『東京ハートセンター』。

また、遊びに行くよ。

そう別れを告げた。

ありがとう
『東京ハートセンター』


◆回顧 外伝part5

この度の入院、手術で色々な方にお世話になった。

[東京ハートセンター]
... 理事長 遠藤先生
センター長 南淵先生
外科医 奥山先生
武藤先生
中川先生
平沼先生
看護部 深津さん
婦長
吉田さん
伊崎さん
工藤さん
今村くん
他、多数

リハビリ室 徳田先生

栄養士 今村さん

麻酔科 みなさん

心臓コーディネーターのみなさん
各 技師の皆さん

ありがとうございました。

つづく・・・

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内容が前後してますが、ご容赦ください。

回顧。

お久しぶりです。
最近少し忙しくしていましたので、ご無沙汰してしまいました。

越後人さん、「回顧」読ませていただきました。
いい文章の、心に響く「回顧」ですね。

私もいろいろ書き留めていることはありますが、カムバックハートさんや越後人さんのようには表現出来ません。

つづきを楽しみにしています。
プロフィール & メール

Author: カムバックハート

カムバックハートブログバナー

カムバックハートこと、鍋島と申します。神奈川県川崎市在住の49歳男性。

2008年12月に僧帽弁形成手術を受けて、第二の人生をスタートさせることができました。

南淵先生と私

南淵先生と私(術後の初外来にて)

フィルムで写真を撮るのが趣味です。(元)心臓病仲間のポートレート写真展の開催に向けて準備中です。詳細はこちらの記事。「創と私」「術前 vs 術後比較ポートレート」「病気を支えた家族と(元)患者のツーショット」「笑顔の(元)心臓病仲間のポートレート」のテーマで作品制作中です。これから心臓手術を受けるかもしれない人達に元気になる期待と勇気を与えたいと思っています。

心臓病仲間の輪に入りたい方や、ブログについてのご質問、お問い合わせのメールはお気軽にこちらへ どうぞ。但し、私は医者やカウンセラーではないので医学的なご質問にはお答えできません。初めての方は簡単なプロフィールをお願い致します。

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ブログ開設: 2008年12月
お知らせ
このブログは、私が弁膜症の僧帽弁閉鎖不全症という病気に診断されたところから、入院、手術、退院、その後の生活という流れで時系列に記載しています。2008年12月当時の状況ですので、その後の医学の進歩で内容的に古くなっている部分があるかもしれません。実際の患者にしか分からない心理的な面の記述をできるだけ表現したつもりです。最初から読まれる場合は、「★はじまり ~こちらからご覧下さい~

コルコバード


南淵明宏先生の公式サイトにある「勇患列伝」 その7に出てくる「平松」とは私のことです。

yomiDr.のサイトにある世相にメス 心臓外科医・南淵明宏ブログ にこのブログのことを書いて頂きました。こちらの記事には第三回(元)心臓病仲間の集まりについて書いて頂きました。
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