越後人さんの回顧録 Part 5

越後人さんの回顧録 「その21~25」です。

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◆回顧 その21

東京ハートセンターから車で東京駅まで叔父に送っていただいた。
久しぶりの外の空気は気持ちがよい。
院内でリハビリを行ってきたが、
やはりシャバはいいものだが、院内の生活とのギャップがあり過ぎる為、
世間の流れに独り、取り残されたような感覚がする。
新幹線乗車まで時間があるので東京駅でランチ。
久しぶりの外食であれもこれも食べたいと思ったが、カロリー、塩分を気にするばかりで選ぶ事が出来ない。
結局、さもないお蕎麦屋さんでセットを食した。
ところが、
完食できずに半分以上を残してしまった。

振り返れば、
この退院の日より私の心、思考、精神的な部分の歯車が狂い始めたのかもしれない。
(それは後程…)

早く村上へ戻りたく午後一番の新幹線に乗車。
これには理由があった。
娘に会いたい…その一心である。
村上に4時過ぎに到着すれば、通ってる学童へ迎えに行ける。

予定通りに村上到着。
何も変わってないや…
ほんの2週間ばかり村上を離れてたのに、
感覚は数年振りの村上。
おかしなものだ。

すぐさま、
娘を迎えにに行った。

ガラッ~と玄関を開け、
『越後人で~す。迎えにきました』

『○○○ちゃん~ 迎えが来ましたよ~』

『は~い』

遠くで娘の声が聞こえる

タタタタッ~

『………。パパ…?』

『帰ってきたよ~』

娘は、
驚いた顔と同時に、目に涙をためてた。

娘にも辛い思いをさせてしまった。
しかし、もう我慢しなくていいんだよ。
パパが帰ってきたらから大丈夫。
また、みんなで楽しく暮らそうね。
娘に語りかけた。

そして、
娘のあの時の表情は今でも心の中に鮮明と焼きついている。


◆回顧 その22

退院当時の夜、家族が退院祝いを開いてくれた。
たくさんのご馳走である。久しぶりの家で食べる食事は格別、また特別な想いである。

しかし、この祝いの中に父がいない。
病気を患い入院をした。
6月下旬頃、異変が生じ入院、手術が決まっていたのである。
当初の予定では7月上旬に入院を言われていたが、
息子の手術が終えてから入院すると病院側に伝えてたらしい。
自分(父)の手術より、息子である私を優先したのだ。
私も親であるが、
親が子を思う気持ちはいつになっても不偏なものである。
自身の身体を顧みず、
息子(私)を想い、私を優先してくれた父に、暖かみと偉大さを強く感じた。


◆回顧 外伝part6

これはどうでもよい話かもしれない。
でも、どうしてもやりたかった…。

退院してから、
当然ながら家でじっと過ごしていた。
暇をもて余していた。

ガマンできない…。

それは、
麻雀だ。

回顧にも書いたが、
入院前日に妻に頼んで歌舞伎町の雀荘へ行く程の麻雀好き。

可哀想な私を見かねてセットしていただいた。
テンパイする度に心臓の鼓動が早くなる。
少し手が震える。

結局、2回終えた時点でギブアップ。
頭と身体が衰えてる。
こんなところで全く体力、気力がない事を認識させられた。
もっとリハビリせねばと誓った。


◆回顧 その23

7月下旬~
南淵先生からいただいたDVDがある。
それは、私の手術の様子を録画したものである。
驚かれる方もいるかもしれないが、
東京ハートセンターでは希望者にはこれを渡す。
密室の中で行われてる手術がどのようなものか患者は知る由もない。

数ヶ月前、南淵先生がとあるバラエティー番組で、
手術中は冗談を言っていると紹介された。
生死をかけた手術中に冗談を言うなんて…不謹慎だと思われる方もいらっしゃるかもしれないが、難しい局面、ピンチの場面で本人が声を張り上げたり、罵声を浴びせたりしてるようでは周りの方が萎縮し、思わぬ方向へ行ってしまう。
また、術者が冗談を言いながら行ってる姿は、
『あ~今日の手術もうまくいってるのだな』
とスタッフを安心させる。
南淵先生の独特な表現方法である。

そんな先生の手術DVDを一人で鑑賞した。
7時間弱の長編大作。
ドラマの1シーンとは大違い。とても丁寧な印象。
私には理解できないが、
これが『神の手』なのか。
また、
私の心臓が鼓動しなくなった瞬間、再び鼓動を始めた画像はなんとも言えない感覚であった。
(俺、ここで死んだ。あっ、2時間後生き還った)

先生は、
心臓手術は基本的に酷い事をしてると常々おっしゃてる。
なるほど、本当にそうた。動いてた心臓を止めたり動かしたり、そしてメスを入れ切り取って取り付けたり…。

しかし、
この酷い事をされた私がそれにより元気になったわけだ。

人生、おもしろいものである。


◆回顧 その24

今年は夏を感じている。 普通に仕事もできてる。また、この暑さの中、野球の審判も2試合できた。
1年経過した今、全てに於いて順調な証拠である。

昨年の夏、全くといってよい程、夏を感じる事ができなかった。
色白の肌、顔には生気がない。
7月下旬に退院をし、エアコンが効いた部屋の中で1日を過ごす生活。
また、胸骨を開いた後遺症でなかなか痛みが引かず、夜も眠れない。
結局、薬に頼り睡眠してるという有り様。

こんな日々の繰り返しである。

元来、出歩く事の好きな私にとってこの生活は、
拷問に近い。翼をもぎとられた鳥。
もどかしさ、イライラが募るばかりである。

この頃から私の精神状態が普通ではなかったと今になって思う。


◆回顧 外伝part7

退院から半月後、私の会社に小さい子猫が迷いこんできた。
産まれて2か月後くらいか。
体は痩せ、ガリガリである。それを見かねた父は、その子猫にエサを与えたところ、会社に居着いてしまった。
お盆にさしかかる頃、
この子猫をどうしょうかという話題になり、
近所の方に声をかけたが(飼ってくださいと)、
反応がなし。
すると、娘が家で飼いたいといい始めた。

妻と相談し、
結局我が家でこの子猫を飼う事となる。
娘に、
『猫の名前を決めて』とお願いしたら、

……
……
……
『う~ん…』

そうだ、『タマ』にしようと。

タマ…古い名前だな…。

8月の中旬から新しい家族が増えた。
退院後の私にとって、
癒しを与えてくれた存在になった事は間違いない。

※今では、5キロオーバーのデブ猫に変身。


◆回顧 その25

毎日、同じパターンの生活。ルーティンと表現すれば響きは良いが、
全くの別次元である。
朝、7時に起床。
朝食は食パン一斤。
その後、
妻は仕事、娘は学童保育園へ。
テレビを観る。
昼食は妻が私の為に作ってくれたものを食べる。
午後もまたテレビを観る。そして、昼寝を。
夕方は、
リハビリの一環としてのウォーキング(約20分〜30分)。
夜は6時半頃に夕食。
9時に就寝。
他に、
朝・夕方・就寝前に血圧測定。
水分も1リットルを目処に摂取。
食事は減塩食を。

胸の骨がつくまで車の運転は厳禁。
お風呂はキズの瘡蓋がとれるまで禁止(シャワーのみ)。重いのものは持たない。
(娘を抱っこやおんぶも出来ない)
体重を小まめにチェック
(突然の体重増は、心不全の前兆か…)
人混みは避ける。
(風邪の予防。外出時はマスクを)

等々と制限というべきか、注意点が沢山あった。

退院直後は、
ゆったりと家の中で生活し、回復を待つという気持ちであった。
おそらく、心臓は順調に回復してるのであろうが、
回顧その24の通り、心が荒んできた。

時折、妻や義母に車に乗せてもらい外出したが、
先々で縁者、知り合いと出会す。
狭い町なので私が手術をした事は結構知れ渡ってる。
皆さん、心配されて同じ事を私に言う。

『大丈夫ですか?あまり無理しないでください。家で休んでればよいのに』

有難いお言葉である。
しかし、
私はその言葉を素直に受けいれる事ができない。

大丈夫ですか…そんなわけないだろ。胸を開き、心臓を止めたのだぞ。

無理しないでください…無理なんか出来るわけないだろ。

家で休んでればよいのに…休みすぎで苦しいから、外に出てるのだよ。

完全に思考がマイナス。
自分ではわかっているが、どうにもならないもどかしさがある。
苛々をぶつける方法、手段を見つける事ができない。自分の矜持を保つどころか、崩壊されていくような感じ

である。

次第に人様と会話をすることが煩わしく感じ、拒絶し、はたまた家族までにもそのような感覚が芽生えてきた。

出口のない迷路へ足を踏み入れた。
私達家族の苦悩が始まったのである。

つづく・・・

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Author: カムバックハート

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カムバックハートこと、鍋島と申します。神奈川県川崎市在住の48歳男性。

2008年12月に僧帽弁形成手術を受けて、第二の人生をスタートさせることができました。

南淵先生と私

南淵先生と私(術後の初外来にて)

フィルムで写真を撮るのが趣味です。(元)心臓病仲間のポートレート写真展の開催に向けて準備中です。詳細はこちらの記事。「創と私」「術前 vs 術後比較ポートレート」「病気を支えた家族と(元)患者のツーショット」「笑顔の(元)心臓病仲間のポートレート」のテーマで作品制作中です。これから心臓手術を受けるかもしれない人達に元気になる期待と勇気を与えたいと思っています。

心臓病仲間の輪に入りたい方や、ブログについてのご質問、お問い合わせのメールはお気軽にこちらへ どうぞ。但し、私は医者やカウンセラーではないので医学的なご質問にはお答えできません。初めての方は簡単なプロフィールをお願い致します。

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ブログ開設: 2008年12月
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このブログは、私が弁膜症の僧帽弁閉鎖不全症という病気に診断されたところから、入院、手術、退院、その後の生活という流れで時系列に記載しています。2008年12月当時の状況ですので、その後の医学の進歩で内容的に古くなっている部分があるかもしれません。実際の患者にしか分からない心理的な面の記述をできるだけ表現したつもりです。最初から読まれる場合は、「★はじまり ~こちらからご覧下さい~

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南淵明宏先生の公式サイトにある「勇患列伝」 その7に出てくる「平松」とは私のことです。

yomiDr.のサイトにある世相にメス 心臓外科医・南淵明宏ブログ にこのブログのことを書いて頂きました。こちらの記事には第三回(元)心臓病仲間の集まりについて書いて頂きました。
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