たかしげさんのペースメーカーの植込み手術

たかしげさんについては過去の記事で何度かご紹介してきた。30数年前の大動脈弁置換、そして、昨年の再手術。6月3日の(元)心臓病仲間の集まりではとても顔色の良いたかしげさんのご様子を拝見していたのだが、その後、こんなことが起こっていたとは・・・

心臓手術は当然の事ながら全身麻酔下で行われる。麻酔が効いて意識が無くなってから、手術が終了してICUで眼が覚めるまでに、一体どれだけの時間が経過したのか、一体どのような治療が自分の体に対して行われたのか、手術がうまくいったのかどうかさえも実感することはできない。

ペースメーカーの植込み手術というのは、部分麻酔なので、処置の一部始終が実感できるようだ。これはこれで良いのやら、知らずに終わってくれた方が良いのやら・・・弁の手術を受けた後、暫くしてからペースメーカーを埋め込んだという方も結構いらっしゃるので、たかしげさんの体験記をご参考にして頂けたらと思う。

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 サイボーグのバージョンアップ  (ペースメーカーの植込み手術)

30年ぶりに心臓弁の置換、リング形成、大動脈を人工血管に置換するよう宣告され13時間余の無我の境地から甦ったのは東北大震災の二カ月後だった。
 
ICUから病室に戻って切開痕を鏡に映すと何故か右の鎖骨下に10㎝ほどの切開の縫い痕がある。手術中徐脈となりペースメーカー(PM)を埋め込む準備だったと主治医から聞いた。胸の創の痕跡が増えようとノープロブレムだが、これ以上人工金属は欲しくないからホットした。
 
退院後、フォローの定期検診で徐脈の傾向を指摘され、ホルダー心電計を装着して様子を見た。毎朝計る血圧、脈拍は正常で目眩、ふらつきもなく、高校野球も終わり秋風が立つ頃からの木彫りに挑戦した。ワーファリンを服用しているから、危険を避けろ、怪我するなと云われながらも鋭利な電動工具、彫刻刀などを使っての作業だ.タイクツに負けないためには好きなことに熱中する性分だからだろう。元気を取り戻した。

正月が過ぎ、春が来て季節の移ろいに敏感になる、息苦しさは感じられず散歩に精を出す。

梅雨の水しずくをアクセサリ―に飾り、色を競うかのような紫陽花(あじさい)に目を奪われていた6月中旬、計る脈拍が異常に少ない。何となく活力は無くなっているが息苦しさは無い。40以下では健常者の半分だ。TVを観ながら自覚症状が無くても素早く手首に指を当てる、緩慢な脈動が指を伝わってくる。遅い!血圧計で確かめるが、やはり徐脈だ。6月18日朝食後に喰いるよう新聞を読んでいた。隠居くらしは会話と活字に飢えている、何が起こったか分からない、気付くとフロアリングの木目が目に映つり左こめかみに痛さを感じた。
朝ドラを観ていた家内が寄ってきて大声を掛けられ吾に還った。これが失神と云われるものなのか、ポルノ小説の世界だけのことかと思っていたが喜寿を超えたが初めての体験をしてしまった。梅雨どきだが脈拍が60~70を推移して気を付けながらも弱った脚力を少しでも元に戻したい気持ちで近所を散歩していたのだが‐ ‐ ‐ ‐

そして7月3日の夕食が終わってメガネをかけてTVを注視していた。またイスから転倒し、左こめかみの痛さに吾に還った。メガネのフレームは曲がり転がっている。擦過傷だ。かなり痛い、二度目の失神だった。正気になり「これはヤバイぞ!」と思い、外出中ならば命は無い、入浴していれば溺死だと唖然とした。これ以上家内に心配させられない。

定期フォローされている病院の電話のボタンを叩いた。翌日主治医から同じ病院であっても循環器内科への紹介状を書いて渡され、明日、朝一に通院するよう指示された。循環器内科は初めてかかるが、今は、ペースメーカー手術は心臓血管外科からシフトされたと聞いていた。PMの手術内容やそのプロセスの知識はネットや本で得ていたので頭は整理されている。昨年大手術で3週間の病院生活を体験したが、生死をさまようような状態の失神であっても意外に冷静だった。PMを埋め込めば多少は不便になり注意も必要となるが、もう一度活力を復活させ残りの人生を愉のしみたいと思い保土ヶ谷バイパスをタクシーで走った。

この病院では年間100例のPM植込み手術がされるらしい。電車内のアナウンスも以前から注意を喚起している現状を思えば一般化しているのだろう。初対面の循環器内科の医師に対応してもらった。

6・7月の体重、血圧、脈拍数や失神した日時をアッピールしてグラフ化したデータや心臓の病歴を時系列的に表示した紙面を見せて説明に心を配った。

医師はデータを読みながら私の顔を見比べていた。一人はベテラン医師だが、細かな対応は若い医師だった。昔流に云えばインターン生のように若かった。マスクをしているので良く分からないが、坊ちゃん医師の印象を受けた。少し不安だったが、たかがPM植込手術だから好いだろうと自分を納得させた。

ペーシング計をスタンドポールに取り付けられ脈動を目と耳で確認できた。正常に戻っているようだった。心電図、レントゲンの検査を行いPM植込み前の準備に入った。尿道にドレンチューブをあっという間に膀胱まで挿入された。心臓手術では当然同じことをされたと思うが全身麻酔で無の世界だったから分からなかった。利尿剤を服用しているからだろうと思ったが、30年前のカテーテル検査では夜間しびんを使わされた記憶を思い出した。術後動けないための策だった。別の病気で内視鏡を挿入されて激痛に耐えた体験から別に驚かない。

心電図・レントゲン・エコーなどひと通りの心臓の検査を終え、直ちに同じフロアーのカテーテル手術室へストレッチャーで運ばれた。

ベルトコンベアの流れ作業のようで、病院到着後二時間足らずだ。

昨年、カテーテル検査をした時の記憶にあるモニター、や天井の様子が同じだ。看護師が印象強く黒の手術着に白
衣を重ねマスクをし、さらにアイシャドーした瞳を間近に寄せて準備してくれた。昨年カテーテル挿入で見た光景と同じだった。

顔を左側に曲げ、右側の首の45度位置に局部麻酔をして静脈に仮のリード線を挿入された。その部分をガーゼ。テープで厳重に処理されリード線が洞結節部に接していることを天井から吊り下げられたレントゲンで撮り確認されて病室へ戻った。

仮に植え込まれたリード線がスタンドポールに吊り下げられたペーシング計器に接続され、左手首に点滴ソケットを射し込みセットされる。ヘパリン(抗凝固剤の一つ)が点滴された。

現役時代火力発電所の配管設計で金属の管継ぎ手を活用して来たが、医療用では簡単な合成樹脂製のバルブ、継ぎ手で扱いが簡素で高機能な部品に目を見張った。こんな時に、なんの因果か現役時代を思い出さなくても- - -と苦笑した。

ベッドでは上半身30°以上置き上がってはならない。食事は家内からスプーンで一口、ひとくち食べさせてもらう、視野は狭くスプーンすら見えない。直接咽喉に落ちるがつかえる。咄嗟に嚥下障害が頭をよぎる。緩やかに顔を横にそむけ頬の内側に落としてもらい昼食抜きの空腹を満たすことが出来た。誤嚥で逝った先輩の影が脳裏をかすめたのが注意を促されたきっかけだった。

同じ姿勢で過し、まんじりともしない一昼夜が過ぎた。食事は完食。水分は1000ml/日・200ml/回。の制限を受けているがエヤ―コンデショナルだから充分だ。本を読み、ラジオに耳を傾け悠々のベッド生活が始まった。4人部屋の一人も同じように首にガーゼ、テープで処置されている。同じような患者も廊下を歩いている。PM植込み患者が多いのに驚いた。

回診で循環器内科部長先生が診えて心臓手術の病歴を尋ねられたが文章化してあったので過不足なく説明できた。担当の若いF先生が一歩離れてうなずいていた。毎朝採血、血圧、脈拍,酸素量を測定された。

昨年の心臓血管外科では看護師がワゴンにパソコンを載せて数値を入力していたが、ここでは手元計器に入力して送信すれば病室のアンテナ経由ナースステーションに無線送信されて記録・入力される。一年経って効率化されたのか分からないがIT時代だ、当然のシステムだ。効率化でコスト削減を図っているのだ。居酒屋さえもオーダーを厨房に送信しているご時世だ、当然のシステムだろう。

9時頃、F先生が見えてベッド横に移動式X線機器を押して来た。寝ていて正面。側面のレントゲンを撮影した。午後にはエコー機器が搬入されF先生が心臓とリード線位置に滑りゼリーが付いたブローブを動かし始めた。夕食が終わりくつろいでいると先生がお見えになりエコー、レントゲンの結果、問題なく所定の位置にリード線が挿入されていると報告された。これでひと安心だ。後は本式のペースメーカ-を埋め込む手術だ。 

朝食後看護師さんが見えて「着替えをしましょう。お下も洗います」と云いながら準備を始めた。
「チューブで傷つきバイ菌がつくと大変ですから洗浄しましょう」と云いながらパジャマを着替えさせてくれ手際よく洗浄液をかけてもみながら洗いだした「次は後ろです横を向いて!」云われるままに看護師に身をゆだねざるを得なかった。昨年の手術では全身麻酔の無の境地でドレンチューブの着脱は記憶にない。昭和一ケタ生まれでも不詳のムスコが目を覚まさないよう耐えた。この洗浄はチューブが抜かれるまで毎朝の日課となった。昨年の手術時の剃毛は風呂に入れたから防水電動カミソリを持たされて自分で行なえた。

毎日来てくれる家内が帰ろうとした矢先、見慣れない年配の看護師が「婦長です.タカシゲさんにご協力をお願いしに来ました」と云いながら用紙を手渡された。「看護師研修生の実習としてタカシゲさんの血圧、検温等の測定を10日間ほどご協力してください」と頼まれた。毎日3交代の看護師さんに診てもらっているから。抵抗なく承諾し用紙にサインした。

翌日朝、教師に連れられ見えて紹介された。孫娘のような感じがしたが、背は高い170㎝近くある色白の可愛い子だな!と強く印象付けられた。血圧を測るのに取りだしたのはブリキ製のケースで水銀柱が立ち、ゴム製のたまご大で空気を注入するタイプの血圧計だった。子供のころ診察室で見たものだ。博物館でしか見られないだろう。手っ取り早く腕帯を腕に巻き聴診器を肘の内側の血管に当てがい真剣な眼差しで水銀柱を凝視している。高校卒業して間もない県立看護専門学校の生徒とこの“血圧計”はあまりにも不釣り合いを感じて計る所作をジーッと見とれた。

退院のころまで診てもらうので「出身地は?」訊いてみた。八幡平市、高校ではバスケの選手----
身長が高いのは納得し、磨けばファッションモデルで通りそうな色白の秋田美人だ。バスケで有名な能代工高、秋田へ疎開した想い出、疎開時代を回顧した東北の旅と話題は尽きないが、あまりにも年齢の差が大きすぎる。殆ど話が合わないが7:3の会話で退屈な病院生活に彩(いろどり)を添えたようだった。

7月12日本式のペースメーカー植込み手術が行われた。淡いグリーンで肩の部分がマジックテープが付き着脱し易い手術着を着せられストレッチャーで手術室へ入った。

追うように秋田美人の研修生が手術台の横まで来て「タカシゲさんガンバってください」と手を差し伸べられ思わず「アリガトー」とその手を強く握り返した。去年の手術から見れば内容と時間は雲泥の差だけど冷静さは充分に保たれていた。

PM専門医のM医師と担当のF医師が準備万端迎えてくれた。顔に5㎜程度のステンレスで出来た約7㎝枡目のドーム状のかごがかぶせられ薄青色の布がその上に覆われた。手術部や医師の様子は分からない。「麻酔を打ちます、チクッとします」と云って左の鎖骨下の筋肉部に数か所に麻酔注射された。感覚として極細の針だと分かった。「痛いですか、痛かったら云ってください」「大丈夫ですか」を繰り返して念を押された。

「入っている仮のリード線を抜きます」と云われ、右側の咽喉部に鈍い痛さを感じて挿し込まれていたリード線が抜けていくのが分かる瞬く間だった。

「タカシゲさん左脚の付け根からカテーテルを挿入します」左腹部の深いところに鈍い感覚を感じる。目を細めて脚の方を見ると挿入している医師の一部が狭い視野に入る。

感覚を左胸部に移すと鎖骨下の筋肉がメスで切られている。皮膚をはがしペースメーカーを納めるスペースを開けているようだ。

料理番組で観る牛肉に包丁で切る光景が想像でき、6㎝くらい切り開いているようだ。長いものを挿入しているようだ正規のシングルリード線を心臓に通じる静脈に入れているらしい。鈍い痛さに気をとられているとひだり鎖骨下の筋肉をかなり強い力で何度も強く押している。ネット情報で知ったPM本体写真を頭に浮かべながら挿入部の様子を想像していた。所定の位置におさまったのか切り開いた個所を縫っている。表面が引きつれ、厚さ約8ミリの質量のある本体を埋め込んだからか横の筋肉が盛り上がっているようだ。また、縫った横を切開しだした。思わず訊いてみた「PMを埋めたから盛り上がった筋肉をなじませるのですか」「いや、端子の接続をする部分です」と云われ手術中で余計なことを云ったかなと思ったが気楽な雰囲気での手術中だったから好奇心で訊いてみた.

端子接続部の接続をして終わったのか又縫う針の動きが分かる。5,6針縫われたようだ。縫い痕を馴染ませているのか鈍痛を感じる。

顔を覆っていた眼隠しが取り除かれて手術室全体が視野に入った。終わったのかなと思っているとガーゼ、テープを張る様子がうかがえる。

PMが埋め込まれてガーゼで覆われた部所にPCマウスより少し小さめな感知デバイスが離れて当てがわれ、F医師がディスプレーを見ながら脈拍を読み始めた。

0.8、0.7、0.6、0.5、0.4、0.3、0.2、0.1と呼称し好いリズムの脈動だOK!と確認された。数回繰り返し確認に念を入れていた。

「リード線が定着するまで左手が動かないよう胸帯をします、左手は身体から離さないようにしてください」と云われ少しばかり不自由になると思った。

植込みは完了し。出口で待機していた家族の安堵した顔を見ながら笑顔で応えて病室へ戻った。腕時計を見ると16時だ。2時間で終わったのだ。

夕食はベッドを起こし美味しく食べた。ベッドで横たわっていたのだが腹は空いた。

看護師が「これを良く読んで注意してください」と“ペースメーカーの説明”を渡された。金属探知機やケイタイに近接しないよう注意されてあったのは既に知っていたが体脂肪計は使ってはいけないと記載されてあり、初耳だ。対応を後日メーカー確認することにした。《体脂肪を測定しないボタンでオフ状態とし微弱電流を断つためスリッパなどで載れば問題無し》と確認して測定している。

翌日、F医師が身障手帳の発行の話があったが既に受領してあり、追記するかは区役所に確認となった。身体に人工物挿入による法的な知識として把握しておく必要がある。

退院後、脈拍を正確に測定するための練習を行った。自分の手首に触れ、その手首を研修生が触れて黙って数えて1分間の脈拍数を二人で云い合って確認をした。三回とも一致し合格のお墨付きをもらった。看護師さんとも行ってOKをもらって念をいれた。欠陥心臓ながら血管は太く感知し易く習慣としていたので問題なかった。

抗生物質の点滴、病室でのレントゲン、エコー、を2日置きに行い、日課の消毒、洗浄をしてもらいながら創の痛みも徐々に和らいできた。その合間に研修生とのとりとめもない雑談に気を紛らした。久しぶりに22時からサッカー“なでしこ”オープン戦を観た。

翌日は点滴は終わりドレンチューブも外され爽快な気分に戻った。

今までペースメーカーの知識として設定された脈数は巾が無く、運動などで負荷が掛かれば設定以上の脈数とならず酸素が不足しがちと理解していた。過激な運動等は極力避けなければならないと思っていたが、これは誤解だった。

「ペースメーカー手帳」を受け取った。VVIRモードで基本レートは70で、レストレートは120と記載されていた。静時には通常のVVIRモードとして作動し、運動時にはその程度に応じてペーシングレートを増やす働き(いわゆるレートレスポンス機能)があると知った。

単位はppmで、一般に使われるが、濃度を表し100万分率を意味している。現役時、慣れ使って来た単位でparts per millionである。

ところが、ペースメーカーのppmはpals per minute(脈拍/分)だろうと理解した。
徐脈はPMで70まで確保してくれ、それ以上心臓に負荷が掛かれば120ppmまで追従してくれるので、便利な機能だ。

7月20日、2か月振りに病院のバーバーに行き、さっぱりとし、病室に戻り看護師に「見違えた!」と冷やかされて「ジイサンをからかうなよ!」と苦笑いしながら二週間ぶりにバスタブで脚を伸ばしさっぱりした。鏡に映る胸の中心を通る昨年の心臓手術創は白い肌色の直線が浮き上がって見えるが周りは内出血して紫色に変色して無様な老体だった。PMを植え込んだ個所は白い絆創膏で覆われている。

思えば20代に盲腸で3針縫ったのが始めで、運動、心臓手術、事故、今回のペースメーカーなど合わせて100針ほどの糸で処置されている。自慢にはならないがよく生きていると思った。

想い出せば少年期、あの真珠湾攻撃の戦勝気分に浮かれていた頃、肋膜病で布団の中で、ジーッと寝ていた。主治医が従軍医師として出征したあと、老医師に代り不安だったが幸運にも少しづつ快方に向かい1年留年して治った。下級クラスで「友達になってください」と見知らぬ学童に頭を下げた遠い昔を想い出した。
空襲、疎開、敗戦の試練に耐えて新しい学制となり制中学に入学し、校医から「心音がおかしい運動はしてはダメ!」と厳重に注意された。ここから欠陥心臓を抱えての人生が始まった。でも運動・風邪・苦難・愉快・激務・手術・身障への波風の多かった人生が始まった。

昨年の心臓大手術でサイボーク状態となって生還し、さらにバージョンアップに成功して毎夜オリンピックTVにくぎ付けになれる嬉しさに浸っている。

この人生を傍で支えてくれたのは“ カーチャン”であり“カミサン”だった。この“カ”の文字の付く二人の女性にカンシャは忘れられない。

         タカシゲ  2012-8-1

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Secret

感謝!

カンバックハートさん
拙い文章の掲載に対して的を射たプロローグで紹介して、導いて頂き感謝します。
そのうちに昨年正月の初対面の感動をもう一度揃って体験しましょう。

ペースメーカー手術

はじめまして、体験記として、当ブログにも、リンクさせていただいて、よろしいでしょうか。
いろんな方の植え込みの状況は大変参考になります。
古い記事へのコメント、恐れいります。

No title

pacemaker07014さん、はじめまして。

コメントありがとうございます。

リンクは基本的にフリーで結構です。貴方のブログのURLをお知らせ頂けますか?

ありがとうございます

ご了承いただきありがとうございます
よろしくお願いいたします
プロフィール & メール

Author: カムバックハート

カムバックハートブログバナー

カムバックハートこと、鍋島と申します。神奈川県川崎市在住の48歳男性。

2008年12月に僧帽弁形成手術を受けて、第二の人生をスタートさせることができました。

南淵先生と私

南淵先生と私(術後の初外来にて)

フィルムで写真を撮るのが趣味です。(元)心臓病仲間のポートレート写真展の開催に向けて準備中です。詳細はこちらの記事。「創と私」「術前 vs 術後比較ポートレート」「病気を支えた家族と(元)患者のツーショット」「笑顔の(元)心臓病仲間のポートレート」のテーマで作品制作中です。これから心臓手術を受けるかもしれない人達に元気になる期待と勇気を与えたいと思っています。

心臓病仲間の輪に入りたい方や、ブログについてのご質問、お問い合わせのメールはお気軽にこちらへ どうぞ。但し、私は医者やカウンセラーではないので医学的なご質問にはお答えできません。初めての方は簡単なプロフィールをお願い致します。

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ブログ開設: 2008年12月
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このブログは、私が弁膜症の僧帽弁閉鎖不全症という病気に診断されたところから、入院、手術、退院、その後の生活という流れで時系列に記載しています。2008年12月当時の状況ですので、その後の医学の進歩で内容的に古くなっている部分があるかもしれません。実際の患者にしか分からない心理的な面の記述をできるだけ表現したつもりです。最初から読まれる場合は、「★はじまり ~こちらからご覧下さい~

コルコバード


南淵明宏先生の公式サイトにある「勇患列伝」 その7に出てくる「平松」とは私のことです。

yomiDr.のサイトにある世相にメス 心臓外科医・南淵明宏ブログ にこのブログのことを書いて頂きました。こちらの記事には第三回(元)心臓病仲間の集まりについて書いて頂きました。
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