たかしげさん、80歳!

このブログを見てメールを下さった方の中では恐らく一番年配のたかしげさんと初めてお会いしたのは2011年1月の横浜。人生2度目の心臓手術を受けるか否か迷われていた時期だった。結果的に2度目の手術を決断・実行。その後の集まりでお会いする時はいつも人一倍明るくお元気。若者たちへ豊かな人生観をも語って下さる。そんなたかしげさんから最新のお便りが届きましたのでご紹介させていただきます。

カムバックハート

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            胸に創を重ねて八十路へ

100才の高齢者が5万人を超えた日本で、80才になったからと大騒ぎするのはちょっと恥ずかしい。振り返れば、昭和一ケタに生れて戦争、空襲、食糧難で怖さやひもじい思いをして栄養も十分に摂れず育った世代だ。

国民学校3年で風邪から肺門リンパ腺炎を患い、酸素ボンベを枕元に置かれ息も絶え絶えで苦しさに耐えた。信頼していた医師までが軍医として召集され、ただ安静にしているだけで、薬さえも乏しい時代だった。何とか病を乗り越えたが進級は無理だと云われ、新しい級友に頭を下げて仲間入りをお願いした覚えがある。そして疎開、戦争が終わり秋田から帰浜した。農作業の手伝いで鍛えられ病弱少年は逞しくなった。ところが中学の身体検査で校医から「心音がオカシイ、運動や無理な作業は駄目だ!」と告げられ、体育時間に級友の活発な運動や声を聞きながら教室でジ―っとしていた。あばれ盛りの少年には辛く惨めな思いった。患った肺門リンパ腺炎が心音の異常に影響したのか、気持は揺らぎ不安が募った。食糧難の時代母は食べものを苦心して食べさせてくれ用事をさせないよう非常に気を遣ってくれた。一年ほどおとなしくしていたが、あばれ盛りの少年だ。あらゆるすスポーツに熱中した。しかしマラソンのように耐久走は心臓が口からとび出るような苦しさでいつ倒れるのかと恐れ慄(おのの)いた。

戦後復興から世の中が活況を呈するようになり就職した。成長期に入り電力は逼迫し、担当する発電プラント設計職場では絶えることなく工事が受注された。工事を消化するため残業、休出、内外への出張と過酷な勤務が続いた。“忙中閑あり”とうそぶいて酒にすがりながらも夢中で働いた。健康診断は一応“シロ”だが心臓のことが気掛かりであっても仕事のことが頭から離れない。厳しい過酷な勤務がエンドレスに続いていた。弁膜症は兆候があっても数十年後年になって症状が表れるらしい。40代後半になってダウン。心臓弁置換手術と宣告された。「ついに来たか!」と“青天の霹靂”とはこう云う事だろうと暗澹たる気持ちになった。仕事と手術のことが交互に脳裏に浮かび悶々とした日々だった。

最初は細い血管を通すカテーテル検査、血栓が脳に飛んだら脳梗塞だ。胸を縦に切り裂かれ心臓そのものにメスが入り直径25ミリの蝶の羽のような人工の逆止弁を小さな心臓の中に置き換えられた。病気の知識を知るよう努めた。知らなければ“知らぬが仏”だが、医師の説明は理解出来なかったろう。

胸の手術創は凧糸のような太い糸で30針ちかく縫われ抜糸の痛さに耐えた。長い間手をソロソロ広げて胸の痛さを堪えた。

3ヶ月後再び同じ勤務。身体を思いやりいたわってくれるのは束の間で、仕事に会社は甘くない。

いつまでも続く超多忙、ワーファリンを服用しながら術前と同じ勤務。ワーファリン服用が疎かだったのか、徐脈だったのか、通勤時に失神転倒し脚を骨折した。治療中、院内アクシデントに遭いながらも何とか退院できた。猛暑の中汗にまみれ、冬は寒風荒ぶ中歩行訓練でリハビリに夢中で頑張った。

職場復帰出来たのは年が変った頃だった。杖を頼りに何とか出勤できた。それでも定年後、満身創痍ながら古稀まで勤めることが出来た。

リタイアして、喜寿を目前にした頃、今度は僧帽弁が狭窄・閉鎖不全、三尖弁もリング形成手術が必要と診断された。四個ある心臓弁のうち三個が欠陥状態だ。さらに大動脈瘤55㎜が発見され、人工血管に置換しなければ早晩破裂すると告げられて目の前が真っ暗になった。前回より自覚症状は極めて悪い。話すのも苦しい、呼吸は肩で息をするほどの苦しさで、体調は滅茶苦茶のどん底、さらに東北大震災が起こり電力事情は最悪、日々変わる停電地域のニュースに毎日聞き入った。非常電源のバックアップまで気になり確認し、その心配は滅入る気持にいっそう拍車を掛けた。

こんな小さな心臓にニ度もメスが入り、多くのいろいろな人工物で、アニメの世界のサイボークのように修復されるのだ。今度こそ、人生は終わりだろうと覚悟して遺言書を枕の下に入れて手術台に横たわる。節目の喜寿の齢だった。

ICUで13時間の手術だったと聞えた。でも甦ったのだ、しかし頭は朦朧としている、つじつまの合わない話をする、意味不明の夢を見る、これが人工心肺によるポンプヘッドかと思った。息苦しさは無くなったが呆けの心配に変った。退院する頃まで続いた。

退院後、脈拍が40~50と少なく手首を押さえて注意していたが、3ヶ月が過ぎた朝、新聞を見ている時ニ度も失神して床に転倒した。また緊急入院しペースメーカー埋め込みで手術台に横たる。
もし、入浴中やホームで倒れたら全てが終わりだったろう。こんな波乱多き人生を歩んで来てまさか八十路に入れるとは予測すらできなかった。医療の進歩もさることながら運の良さだけではないだろう、何と云ってものカミさんや家族が側で離れず支えてくれたからだろう。今でも頭は上がらない。

キズだらけの欠陥躰で生きて来て、若さを失ったが嘆かず、恐れずポケットに好奇心を入れてスマートに老いるよう心掛けて充実した八十路を歩むとしよう。あとはSTAP万能細胞に望みを持てばよいだろう。こんな身体でも、先日昔の仕事仲間と元気で梅見に行って来た。そして1句詠んでみた。

「がむしゃらに生きて八十路の梅見かな」

今宵は人生節目の誕生日、カミサンと安堵のグラスを傾ける。      了 

                   髙橋しげお
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Author: カムバックハート

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カムバックハートこと、鍋島と申します。神奈川県川崎市在住の48歳男性。

2008年12月に僧帽弁形成手術を受けて、第二の人生をスタートさせることができました。

南淵先生と私

南淵先生と私(術後の初外来にて)

フィルムで写真を撮るのが趣味です。(元)心臓病仲間のポートレート写真展の開催に向けて準備中です。詳細はこちらの記事。「創と私」「術前 vs 術後比較ポートレート」「病気を支えた家族と(元)患者のツーショット」「笑顔の(元)心臓病仲間のポートレート」のテーマで作品制作中です。これから心臓手術を受けるかもしれない人達に元気になる期待と勇気を与えたいと思っています。

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ブログ開設: 2008年12月
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南淵明宏先生の公式サイトにある「勇患列伝」 その7に出てくる「平松」とは私のことです。

yomiDr.のサイトにある世相にメス 心臓外科医・南淵明宏ブログ にこのブログのことを書いて頂きました。こちらの記事には第三回(元)心臓病仲間の集まりについて書いて頂きました。

このブログは、私が弁膜症の僧帽弁閉鎖不全症という病気に診断されたところから、入院、手術、退院、その後の生活という流れで時系列に記載しています。2008年12月当時の状況ですので、その後の医学の進歩で内容的に古くなっている部分があるかもしれません。実際の患者にしか分からない心理的な面の記述をできるだけ表現したつもりです。最初から読まれる場合は、「★はじまり ~こちらからご覧下さい~

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