たかしげエッセー 『中学卒業マラソンと喘ぐ心臓』

(元)心臓病仲間の集まりの常連参加メンバーであり、仲間の間では一番ご年配のたかしげさんからエッセーを頂きました。先日開催した集まりで話題に上ったマラソンをテーマに2007年に書かれたものに今回加筆を入れられた文章です。
カムバックハート

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『中学卒業マラソンと喘ぐ心臓』

 中学校は神奈川大学の南東の小高い丘の上にあり、周りは民家に囲まれて、遠く東側は横浜の港方面が眺望出来る学び舎たった。
昭和二十五年、世の中も終戦から少しずつ落ち着きを取り戻し、学校の行事も多く取り入られるようになってきた。卒業も間近になった二月の寒い日、校庭には全校生徒が運動着を着て集まり白一色でこれから恒例の「全校マラソン大会」がスタートする緊張の一瞬だった。ワイワイガヤガヤ、お喋りと吐く息が白く湯気のように生徒の頭上に漂っていた。僕もこのなかの一人だった。当然、健康な生徒のみの参加で体調の悪いものは決して無理して参加しないようにと厳しく注意されていた。
「心音が異常だ」と校医から運動を厳しく止められていた入学当時だったら参加しなかったかもしれない。バスケットボールや水泳で暴れまくり過激極まりなく体を動かしている。担任の先生は女の先生だけれど、僕が日ごろ元気にしているからかマラソンを走ることに何も云わなかった。
10㎞の距離のマラソンだが、バスケットボールで走り回っている。欠陥心臓でも大丈夫だろうと不安であったが中学生最後の記念行事だから途中落伍はしたくないけれど、別に心臓に異状が感じられなかったので参加した。学校の行事であっても、おふくろに話せば「止めな!」と止められるは分っているから、なんとかゴール出来るだろうと思っておふくろに黙って自分の意志で参加することにした。
学年、男女それぞれに順を追ってスタートした。校門を出て一気に長い坂を下った。最初は帯のように連なって、雑談まじりの走りだった。平坦な道路に入り十分も過ぎるとマラソンの流れは一列になり、走りながらの雑談が変ってハァー、ハァーと荒く吐く息だけになってきた。日頃運動部で名を馳せていた連中はとっくに視界から消えている僕は違った。瞬発力のバスケットボールでは楽しく活躍できたがマラソンのように長丁場を走ることでは苦しさが胸を圧迫し始め、息苦しさは並大抵ではない。
三十分も過ぎただろうか、大分間隔が空き、前も後ろにも走っている生徒が点々と見える。気は焦るが
脚は思うほど進まず鼓動は激しい。やっぱり僕の心臓は欠陥があるのだと感じながらも走りを緩めない。鼓動は激しく息苦しさが襲って来た。吐く息と一緒に心臓が飛び出すのではないかと感じるほど苦しい。それでも足を動かして走る。いや、引きずってるのかもしれない。
目の前に登り坂が見えてきた。長そうな坂だ、前を走ってる者と並んだ。走っているような感じではない、ゴールを諦めているような走りにも見える。心臓が脈動じゃない、激動だ!途中に数人が走っている、遠くても喘ぎながら走っているのが分る僕とて同じだ、でも落伍は恰好良くない恥ずかしいゆっくりでもいい、ただ規則正しく息を整えて走るようした。余計なことは何も考えずに数を数えるようにして、呼吸を合わせるようにした。他から見たら歩いているように思われたかもしれない。
坂の途中では三十分前にスタートした女子生徒がマラソンを諦めたのか、走れないのか、数人が道端にしゃがんで野の花摘みをしている。優雅なものだ。他人ごとのように「ガンバって!」と声を掛けられる。「ウルセーエ」と思っても声が出ない。一緒に座り込んでしまいたい気持だった。が、落伍の結果を想像するとゴールまで走らなければの意地でも周りを見ないで、ひたすら脚を動かした。
一人、二人と追い抜かれる、息苦しさを耐えながら先を見ず追い抜く生徒を無視して脚を進めた。
ふと、前を見ると自分よりも苦しみながら走っていた生徒がいた。追いついた。
ずーっと追い抜かれ続けて走ってきたので追い抜いた途端にわずかに残っていた力が漲ってきたようだ。
追い抜かれ、追い抜いたりしながら喘ぎ喘ぎ校門へゴールしたのは出発してから一時間余りが経っていた。約二百人余りの三年生では百十三位だった。バスケット部員の中では一番ビリだった。
 先着の生徒が輪になってそれぞれに順位や抜いた、抜かれた、の話しに夢中だった。バスケ部のセンターは三位で、一位になれなくて非常に悔しがっていた。誰を追い越し、誰に追いつけなかった、と自慢話を熱っぽく話していた。僕はこの話の中へ入れなかった。百十三位では話題にならない。この話題から背を向け、順位よりも欠陥のある心臓で良く走りぬいた思いで満足だった。
若し何かあって棄権でもしたらおふくろや先生に無謀、無茶呼ばわりされたかもしれない。何事も無く完走し終えて良かったと思った。不安な気持ちでマラソンに参加したが、若し確認したら即座に駄目と云われただろう。
自分の身体は自分が一番良く知っているようになった。自分の意志で不安ながら参加したことは、心身共に苦しい体験であったが良かった。三十数年後、胸を三十㌢余り切開して人工弁を埋め込むとは思わなかったが、中学時代の貴重な体験だった。
 どんなことでも一位は誰もがなりたい、しかし誰もがなり難い。ビリも逆だけど、なりたくなくても誰かがなる。一位もビリもその時にどうゆう姿勢でいられるかが大切なようだ。
病いのハンデがあってもマラソンに参加した体験から己の力量を知りわきまえることを知ったようだ。  3位でゴールした同僚のバスケ部のセンターは75才で他界した。

                                   了
    2007・11      2016・6 加筆

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Author: カムバックハート

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カムバックハートこと、鍋島と申します。神奈川県川崎市在住の49歳男性。

2008年12月に僧帽弁形成手術を受けて、第二の人生をスタートさせることができました。

南淵先生と私

南淵先生と私(術後の初外来にて)

フィルムで写真を撮るのが趣味です。(元)心臓病仲間のポートレート写真展の開催に向けて準備中です。詳細はこちらの記事。「創と私」「術前 vs 術後比較ポートレート」「病気を支えた家族と(元)患者のツーショット」「笑顔の(元)心臓病仲間のポートレート」のテーマで作品制作中です。これから心臓手術を受けるかもしれない人達に元気になる期待と勇気を与えたいと思っています。

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