たかしげさんの心臓手術体験記録

今年1月4日の記事に書かせて頂いた、運鈍根さんこと、たかしげさん(仮名)の手術体験記録の公開許可を頂いた。

思えば、1月4日の午後、横浜の喫茶店で、マダムアリスさん、三つ葉葵さんと私で、たかしげさんとお会いした。たかしげさんの長く豊富な人生の体験談を時間が経つのを忘れて伺った。そして、その時は、二度目の心臓手術を受けることをまだ悩んでいる、そうした心境も伺っていた。決断するのはご本人。それは心臓手術経験者の誰もが知っていること。その場にいた誰もが、「たかしげさんは手術した方がいいですよ。」とは言わなかった。

だけど、我々と実際に出会ったその時に、決断は為されていたのだろう。私がそう思うのは、その日の最後に、そっと独り言のように洩らされた言葉が私の記憶に強く残っていたからだ。

「やってみようかな・・・」

たかしげさんは、昭和9年生まれ。喜寿を迎えられた。考心会の心臓病アンケート調査Ⅱの報告書によると、最初の手術を受けた年齢が70~79歳の方は全体の26%。つまり4人に1人はたかしげさんの年齢層ということなので、決して特別高齢での心臓手術ではない。もっとも、たかしげさんの場合は、一回目の手術を約30年前に受けられているので、最初の手術が40歳代の全体の6%のグループに属する訳だ。

第三の人生をスタートされてまだ1ヵ月未満。そんなたかしげさんの新鮮な心臓手術体験のエッセーを紹介させて頂く。実体験に基づく言葉は、同病の仲間に本当の勇気を与えてくれると思う。
   
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『サイボーグで甦った』

一生に二度も胸や心臓にメスが入り人工物を埋め込まなければ生きられないとは運動に明け暮れた青春時代には思ってもいなかった。ボイラーモヂュール工法が脚光を浴びプロジェクトチームの配置、配管設計担当として頑張っていた頃だった。一年前に心臓弁膜症の人工弁置換手術と診断されベッド空きを待たされていた。秋風が立ち始めた頃、残務を後輩に託して手術台に横たわった。新杉田先の金沢工場移転で慌しい日々だったが心臓大動脈弁の置換手術に成功して病院前の道路を金沢地区へ走る引越しの車列を見送った当時を想い出した。再起して70才まで勤めさせてもらい以後趣味の生活で悠々の暮らしをしていた。この手術時肺から心臓に入る僧帽弁も幼児期のリューマチ熱により石灰化が進み狭窄、閉鎖不全となっていたのを広げる処置をした。

それから術後約四半世紀が経過した頃、この僧帽弁もますます狭窄が進み開口面積が1.2㎝2となり常人の4分の1の面積と狭くなり歩行困難、坂道、長い会話、カラオケなど心臓や肺に負担がかかると息苦しく市中の広い横断歩道を渡り切るのに深呼吸を繰り返し充分に構えて歩き始める症状となってしまった。
各種の医療検査結果にその症状の証拠が反映され、僧帽弁の閉鎖不全症により心臓肥大が進み加えて三尖弁輪形成術を行う必要ありと診断された。

1回/2か月の外来通院で主治医から手術を奨められ手術して人工弁に置換しなければ八十代に踏み込めないと宣告された。《QOL-生活の質-を維持向上するためにリスクは大きいけれど進歩している医学医術を信頼して挑戦してみたらどうか》とまだ手術に踏み切ることの出来る年齢であると自信ありげに告げられた。

しかし、あまりにも処置する部位の多さに、即答を躊躇した。現状では極力外出を止め、タクシーなどを利用し行動を控えた暮らしをすれば八十才くらいまで生きられるだろうと思い手術をためらった。有名なセリフではないが"To be or not to be"の心境だった。

9年生まれの芸能人で「九年会」のメンバーも黄泉の国へ逝った。児玉清、長門弘之・・・同年生まれで喜寿だから。こんな訃報を耳にした矢先、あの未曾有の震災と津波、加えて計画停電、不安定な電力供給に戸惑いを隠せず主治医に相談、停電対象外地区の確認を得たが、2か月延期となり手術日5月23日を待つことになった。

入院後受け取った「手術説明および同意書」によれば処置する部位の多さに不安が募った。
 ○僧帽弁狭窄症(開口面積4.9㎠→1.2㎠) ⇒ 機械式人工弁に置換手術。
 ○既設の機械式人工大動脈弁 ⇒ 開胸結果補修の要否判定し軸受け部の補修施行。
 ○三尖弁閉鎖不全症 重症 ⇒ リング形成術施行。
 ○上向大動脈瘤(径55㎜)切除後人造血管に置換。(石原裕次郎の手術と同じ部位) 人工心肺装置使用して手術。                                    
手術結果:成功率 約90~95%
術後心機能改善の見通し。術後心不全進行の予防。
心房細動から規則正しい脈に回復する可能性 80%
危険:約5~10%
病院死亡率 (日本胸部外科学会統計2008年による)
再手術による僧帽弁置換+三尖弁形成術 4.1%
初回手術による上向大動脈置換術    2.4% 
 
Japan score (日本心臓血管外科学会)による 患者《たかしげ(仮名)》のリスク:
30日以内 手術死亡率 18.9%
30日以内 手術死亡率+主要合併症 65.1%

こんな「手術説明書」を見せられて大船に乗った気持ちで手術台に乗れるほど肝っ玉は座っていなかった。でも入院前に家内と二人の子供宛てに書面で覚悟の気持ちを表して持参しバックの中に入れ枕下に入れた。

手術中の合併症で一番のリスクは冠動脈狭窄による心不全であり、真っ先に冠動脈カテーテル検査を行うこととなった。カテーテル検査のリスクの説明を受け同意書にサインした。手術着を着て歩いて検査室へ向かい検査台に横たわった。30年前とは検査室の様相は違って最新設備の感じがした。右手の手首付近に局部麻酔が打たれ感覚がなくなってきた。意識は明瞭だ。ベッド左側に若い女医さんが30㎝くらいに顔を近づけ介添えをしてくれ励ましてくれている。目元のアイシャドウがはっきりと目に映りマスクに隠れた美人医師を強く印象付けられた。余裕があるな!

右腕にカテーテルが挿入されていく感覚が傷みなく分かる、カテーテルの挿入で周りの皮膚や肉が引き連れて押される感覚がはっきりと意識できる。
カテーテル挿入医師とモニター操作医師との会話が数分間続いて終了した。

30年間血液抗凝固剤(ワーファリン)を服用し続けたからか冠動脈は正常の血管を保っていることが分った。さらに胃カメラ検査、肝臓CTなどを行い術中の合併症に対して万全の注意が払われた。これで心臓大手術の準備は整った。

入院してから手術に備え出血防止のためワーファリン服用は止め、へパリンの点滴を続けていた。これも初めて知ったことだが血液の抗凝固と血栓との相反する処置をどうするのか疑問を持っていたが医薬の進歩に納得が出来た。

前日に手術に備え久しぶりに風呂に入った。防水電動カミソリを持たされ自分で剃毛するよう命じられた。剃毛結果を視た看護師は「こんな多く剃毛する必要なかったのに・・・・」と云ってOKを貰った。先に云え!と思ったが口を噤み言葉を返さずへんな気分だった。
                                 
いよいよ5月23日手術当日を迎えた。AM 8:50手術着に着替え歩いてエレベーターに乗り4階の手術室へ向かった。手術室の待機部屋で注意を受け、手術台に横たわった。

そして記憶が途絶えた。‐――――――――――――――――――

待機していた家族に手術成功の連絡が入ったのは13時間後の夜の10時頃だったらしい。

何日後か定かではないが、小学生の幼い声が「イタイヨ!痛いよ!」と聞こえてくる。また、中年の男性の声で「俺はどこも悪くないここからだしてくれ!」とわがまま言っているのが聞こえ看護師のなだめ叱る声が重なる。俺が幻聴なのか分からない。家族や姉妹や高校生以上の孫たちがベッドの近くに寄ってきて手術成功を喜んでくれた。胸から聞こえる人工弁の音と祝福の言葉が間断なく聞こえる救急車のサイレンにかき消される。

四日後に個室に戻った。個室では横浜金沢の海を間近に見え、遠く房総半島を眺望出来て暫し生きて戻った喜びに浸った。10センチ角、厚さ2センチほどのプラスティック容器に血液が滲んだ白いラード油脂と思われるものが左腰の横に置いてあった。これが8ミリくらいの透明なチューブに繋がり開胸創に張り付いていた。

ICUからHCUに移った三日後には開胸創は完全に付着して痛さはなくただ痒みだけだった。抜糸の痛さに苦しまずに心臓の血流が全開して流れている感覚となっていた。開胸創はきれいに接着し術後一週間後には消毒無しで入浴の許可が出た。ナースステーショでも評判の美人の補助ナースが背中を流し術中の汚れを洗い落としてくれた。70才を過ぎた爺にはもったいないことだった。

五日後には病院専属の美人リハビリ師による歩行訓練が始まった。ちょっとふら付くが杖もなく意外と脚力の強さに安堵した。

嚥下障害防止、尿、ドレン、酸素などのチューブやパイプは毎日のように躰から離れていき、二週間過ぎには心電図モニターも外された。医師とのコミ二ケーションに努め信頼して手術台に横たわったことは正解だったようだ。

多種の人工物を心臓に埋め込み、まさにサイボーグ機能を備えた心臓となり八十代に突き進めそうだ。体重64㎏→54㎏とスマートになったが食欲は正常で早く一献盃を傾けたい心境だ。震災、津波、原発事故、計画停電・・・・・と不穏な状況下であったが喜寿の爺はまた甦ることが出来た。 了

追伸:シワガレ声は術中に咽喉から胃に挿入したパイプの影響で咽喉部が傷んでいるそうです。時が解決するでしょう。

2011-6-21     たかしげ

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No title

たかしげさんの力強い文章を読ませていただいて、また安堵いたしました。
手術成功の連絡が来るのを、心待ちにしていたことが懐かしくさえ思えるような感じです。

カムバックハートさんとは違った年代の方の手術体験記を読むことが出来て、またこのブログも
さらに幅が広がった感じですね!


(おまけコメント)
また創についてですが、創の見える服を気にせずに着るようになってから、
創の部分の日焼けには気を付けるようになりました。日焼け止め塗っています。

たかしげさんのエッセイ

そうですね、、、術後の連絡を頂くまでは本当に長く感じました。
こちらから連絡しようかと何度も思って、(元)心臓病仲間の間で相談しましたね。
そうしていたことも、早くも、懐かしい思い出となってしまいました(笑)

たかしげさんのエッセイ、是非、沢山の術前の方に読んで頂きたいです。
そして、これから心臓手術に臨まれる方々に何かしら心をホッとさせる安心の
ようなものや期待を抱いて頂きたいと思います。



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Author: カムバックハート

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カムバックハートこと、鍋島と申します。神奈川県川崎市在住の48歳男性。

2008年12月に僧帽弁形成手術を受けて、第二の人生をスタートさせることができました。

南淵先生と私

南淵先生と私(術後の初外来にて)

フィルムで写真を撮るのが趣味です。(元)心臓病仲間のポートレート写真展の開催に向けて準備中です。詳細はこちらの記事。「創と私」「術前 vs 術後比較ポートレート」「病気を支えた家族と(元)患者のツーショット」「笑顔の(元)心臓病仲間のポートレート」のテーマで作品制作中です。これから心臓手術を受けるかもしれない人達に元気になる期待と勇気を与えたいと思っています。

心臓病仲間の輪に入りたい方や、ブログについてのご質問、お問い合わせのメールはお気軽にこちらへ どうぞ。但し、私は医者ではないので医学的なご質問にはお答えできません。初めての方は簡単なプロフィールをお願い致します。

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南淵明宏先生の公式サイトにある「勇患列伝」 その7に出てくる「平松」とは私のことです。

yomiDr.のサイトにある世相にメス 心臓外科医・南淵明宏ブログ にこのブログのことを書いて頂きました。こちらの記事には第三回(元)心臓病仲間の集まりについて書いて頂きました。

このブログは、私が弁膜症の僧帽弁閉鎖不全症という病気に診断されたところから、入院、手術、退院、その後の生活という流れで時系列に記載しています。2008年12月当時の状況ですので、その後の医学の進歩で内容的に古くなっている部分があるかもしれません。実際の患者にしか分からない心理的な面の記述をできるだけ表現したつもりです。最初から読まれる場合は、「★はじまり ~こちらからご覧下さい~

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