たかしげさんからの投稿  「KYの思ひ」 

たかしげさんから頂いた投稿です。自らの心臓病に関する経験など、みんなに発信したい文章を送って頂けましたら本ブログに転載させて頂きます。

カムバックハート

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「KYの思ひ」        たかしげ
              
2007年ころKY(ケイワイ)といって空気が読めない人を意味した言葉が流行った。また、逆にそうゆう人にその場の「空気を読め」とか「KYケイワイ」と耳元で囁くなどして使われた。その場の雰囲気・状況を掴めない人のことを指して「KYじゃん!」と言っている若者の会話を聞いたことがある。

こんな時期に仕事で「KY運動」が叫ばれいた。「仕事は空気を読んで完遂せよ」ではない。
「KY運動」は危険予知で、設計段階でも危険性を予測して安全でしかも、危険を伴わないような製品を設計し作る。そのような運動であり多くの企業がこの運動に参加した。危険予知はそのことの知識がなければ的をを射た対応が出来ない。
「当たらずとも遠からず」の危険予知でも意識しないよりましだ。工事中のビル前の歩道を歩いて“上から何か落ちてくる”を意識をして足速に通り過ぎるか、遠廻りしても避けるか避けないかで、事故に遭う率は多くも少なくもなる。いずれのKYも無知では成り立たない。

危険は外部からばかりでない。身体の内部からもある。私たちは人体のエンジンである心臓を手術して幸いに元気で働き、暮らしている。しかし、心臓手術と決まった時、それぞれの人によっては予知のきっかけは違うだろうが、息苦しい、胸が痛い、意識なく倒れた、頻脈、徐脈・・・と予兆はいろいろあるだろう。他の病でもそれなりに予兆があるはずだ。わずかなアラームを敏感に感じ取ってしかるべき専門医に診てもらう。自分で原因が分からないにしても周りの人が知ればアドバイスをしてくれるだろう。

今はメディアが発達しているから、病気の情報は懇切丁寧に教えてくれる。これも予知だ。病の知識を上手に生かして診査を受けるようにして早期発見、早期治療に結び付けたいものだ。ところが、今は情報過多のきらいもある。健康・病気についてどこかのTVやラジオでも毎日放送されている。危険を予知する反面知らない怖さ以上に知り過ぎた怖さに疑心暗鬼になりがちだ。

(文章提供:たかしげさん)

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たかしげエッセイ 「壊れた心臓で八十路の春を迎えて」

たかしげさんから最近の行動についてのエッセイを頂きましたので転載させて頂きます。
趣味で行われている木工のグループ展も今月横浜で開催されるそうです。いつもアクティブなたかしげさんです。
カムバックハート

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「壊れた心臓で八十路の春を迎えて」

サンデー毎日の暮らしで閑居しても不善はしない。いや、出来ないかな・・・・
意外とビジーな毎日ですよ。わたしの辞書には“退屈”と云う文字は無さそうだ。友人が退職後それぞれに水彩画・水墨南画、私が木彫り彫刻を愉しんでいる。ひょんなことから展示会を開くことになり準備に没頭しています。

先日、娘の嫁ぎ先の義母が脚の不自由をかえりみず九州福岡観光をねだり、私たちに声が掛かった。
旧いことわざで義理(ぎり)と褌(ふんどし)欠かされぬと言われている。まさにその通りで、杖を突き、欠陥心臓を抱えワーファリン薬を持って1000km余りの距離の福岡県へ仕方なく行く羽目になった。宇宙ステーションでさえも≒400kmなのにと思いつつ、出かけた。

 久しぶりの新幹線に乗った。5Hrの旅で3日間超快晴!富士山が素晴らしい!“富士見” の名がついた自治会や坂がある土地に住んでいるからさほど珍しくない、しかし今日は違った。車窓から眺める富士山は頂上まで羽二重の白布をかぶせたようで気高い姿が紺碧の空に映えていた。
遠景でも裾野は地肌が雪に入りくみ春の兆しが感じられた。熱く燃えていた三十代、吉原の製紙会社のボイラーの上部から見た真冬の富士山の威容に強い感動を覚えた往時を思い出した。

 レンタカーで九州自動車道を飛ばして大宰府天満宮に参った。「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな」は覚えているが梅花は散り、変わって桜花が咲いていた。休日・花見シーズンでも九州自動車道は東名高速よりも空いて快適なドライブだった。後期高齢者3人の内、杖の援けを必要な2人、そして身障手帳1人の後期高齢者に気を遣いながら大学生の子を持つ娘夫婦がガンバリ気遣いをしてくれた。5hrの新幹線車中ワンカップ酒を酌み交わしながら取り止めのない雑談に興じながらノープロブレムで帰浜出来た。

むかし、夜行列車で出張し神経を遣い東奔西走したことを思えば不自由な身体であり、義理と思いながらも、観光と云うより日頃の疎遠が解消されて良かった旅だった。

 人生の大半を過ごした会社の技術部門のOB会の開催機運が起こり幹事体験から声が掛かり準備の手伝いを頼まれている。先は短い、出来ることは協力しようと思い、インパクトがある日々だ。

 好きこそ物の上手なれと言われる。投稿とか応募は興味がある。今までも実績があり、サンデー毎日の暮らしだから機会があればキーを叩く。住んでいる地域のケアプラザでシンボルマークを募集している。地域名は「横浜市旭区笹野台ケアプラザ」親睦・交流・笹をイラスト化した図案を考えた。こんなことを考えていると。一日の終わりが早い。夕餉の一献はどんなお酒を飲んでも美酒になる。

 若い頃、アメリカ女性で三重苦(目・耳・口)が不自由で名を遺したヘレンケラーが来日して感動を受けたことがある。心臓が壊れ、ペースメーカーで援けられ、杖を突き、緑内障と云われている身体だけれど。カミさんの尽力のお陰でもう少し生きられるだろう。    了

たかしげ 2015-4-1

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たかしげさんからの暑中見舞い

たかしげさんの近況が届きました。たかしげさん手作りのノコギリクワガワの写真も掲載しました。凄い!まるで本物のようです。

カムバックハート

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残暑お見舞い申し上げます

ペースメーカー(PM)の定期検査を受けて&暮らしの雑感

老体の欠陥心臓の脈動をしっかりとアシストしてくれるPMにはチェックが必要だ。埋め込み手術を受けた金沢区の横浜市大付属病院へ通院した。半年毎だから運悪く厳寒、炎暑の候だ。熱中症に気を付けて!水を小まめに飲め!と親切にメディアが注意してくれている厳しい時期だ。老いと病の身体では無理しない。タクシーで快適な通院だ。

機能チェックはメーカーとPM担当医がチェックし、バッテリーは10.3年残っていると言われた。寿命が終わってもPMは生きていることになるのかな?! その後循環器内科の医師の診断を受ける。今日の担当医は若い三十代の女医さんで初めての医師だ。前回のレントゲン写真と比較して心臓の肥大の変化の説明を受けた。肺を押しのけるように肥大していた心臓はもう見られない。PMを埋め込んだ際のリード線の接続部の皮膚が突起状に盛り上がっている,前回のカルテをスクロールして確認し「切開処理は不要でしょう、現状で問題はないです」と云いながら新しく診断結果を機関銃のごとくPCカルテに入力してぃた。“一本指打法”で打っているわが身に比べたら雲泥の差だ。家内と顔を見合せ驚きの眼差しで覗いた。

最初の心臓手術後のフォロー通院で、後年電子カルテが導入され始めたころ心臓血管外科の部長医師に10年来外来で診てもらっていた。この医師が若い医員を呼びつけて、入力術どころか、プリンターの操作を一々命令口調で教わっていたのを思い出した。医療、医療機器のIT化の進歩と同様に女性医師はこの時代に学んだのだから驚くに当たらないかもしれない。IT世代の医師に診察を受ける機会が多くなる。ジイさんだけど幅広いコミニケ―ションに努めよう。

身体中に人工物を埋め込まれたが、病気があるとその箇所がいつも意識する。どこも不調を感じないで暮らせれば健康な証拠だ。ひざ痛は家の中では問題なし。息苦しさもなく、自由で制約ない暮らしだ。体力維持は散歩程度だが腕や握力は衰える。“認知症”の報道も身近に感じる年齢だ。血流が乏しいのか冬は弱いが、猛暑でも夏は意外と強い。グッタリ!ウンザリ!は今でも口から吐かない。ワーファリンを飲んでいるから怪我は禁物だが、鋭利な刃物を使って指先を使い木目の細かい工作に熱中している。

昆虫が好きなわけではなく自然の中で生きるために闘う武器を備えた形に造形の興味をそそわれる。今年は「ノコギリクワガタ」を作った。ガキの頃山へ捕りに行ったあの形は忘れネット写真を検索して手本とした。添付します。残暑厳しいです。心臓以外の部分にも気を遣いましょう。夏季休暇も終わりましたね。また頑張って下さい。ボチボチ過ごしましょう  

たかしげ  2014・8・10



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たかしげさん

たかしげさんから近況が届きました。転記させていただきます。
たかしげさんに直接お会いしたい方は、7月12日の第八回(元)心臓病仲間の集まりにどうぞ!

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術後 定期診断フォローを終えて・・・

 CT・採血・心エコー・・・・・半年ぶりに検査を受けてきた。もう何十回受けただろうか。働いていた頃は超多忙な仕事をやりくりして受けに行き戻って残業したものだった。今では久しぶりの外出だから気持ちにゆとりをもっての通院だ。カミさんがしっかりアシストしてくれる。一週間後、検査結果報告を受けた。

昨年の検査と比較しての所見を見ると**肥厚、**石灰化の文言が並び、英語の略号で数値が記載されてあった。意味不明だ。インホームドコンセントの時代でも先生に根ほり葉ほり訊けない。それぞれの機械弁の作動が変化なし、先生から総じてOKの“御墨付き”を貰った。この齢まで生きているが躰のセンサーは大雑把でも活きていてアラームは鳴っていない。例えば膝痛をカバーして杖に頼って散歩しても息苦しさは感じない。根を詰めた趣味に夢中になれる、食事も美味い、晩酌が後押ししてくれるが腹八分を守り、それ以下を心掛ける。ネットで心臓医術略号を検索して理解に努め素人なりに理解できた。AV(大動脈弁)Af(心房細動)AP(狭心症)・・・先生が笑顔で「ノープロブレム」と言われたことに納得できた。心臓病だけが病気ではない、大分くたびれた身体の齢だけど今までの病に対する姿勢で八十路を下ろう。

<たけしの部屋>を見た。自分の少年期と重なるので興味を持って読んだ。

母親からの悩みで、16才息子が大動脈弁閉鎖不全症ながら部活レギュラーで活躍しているがこれから進学、就職と歩む子の手術のタイミングについての悩みが投稿されていた。

はるか昔、中学入学時「心音がオカシイ!運動は一切ダメだ」と宣告され当時40才を越えたばかりの母はこの母親の心境と同じで悩み心配していたのだろうとダブって思いがよみがえってきた。戦後の混乱期であり、その心痛は計り知れないものだったろう。聴診と打診で異状を告げられた時代だから自覚症状がなければ激しい運動や行動も頓着なくやってきた。最初の弁置換手術を受けた時には母親はとっくに亡くなっていた、母親の思いを受け継いでくれているのか家内や娘だろう。

医療の進歩は目覚ましい。CT・エコー・カテーテル等で病状・病巣は画像を視て手に取るように診断される。弁膜症を抱えながら二度の手術、これでもかとペースメーカまで埋め込まれ傘寿を迎えられたのだから、この少年は最新医療技術の恩恵を受けて力強く未来を拓いて行くだろう。
定期診断を受けた機会に雑感を綴ってみた。  

たかしげ   2014・7・1

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たかしげさん、80歳!

このブログを見てメールを下さった方の中では恐らく一番年配のたかしげさんと初めてお会いしたのは2011年1月の横浜。人生2度目の心臓手術を受けるか否か迷われていた時期だった。結果的に2度目の手術を決断・実行。その後の集まりでお会いする時はいつも人一倍明るくお元気。若者たちへ豊かな人生観をも語って下さる。そんなたかしげさんから最新のお便りが届きましたのでご紹介させていただきます。

カムバックハート

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            胸に創を重ねて八十路へ

100才の高齢者が5万人を超えた日本で、80才になったからと大騒ぎするのはちょっと恥ずかしい。振り返れば、昭和一ケタに生れて戦争、空襲、食糧難で怖さやひもじい思いをして栄養も十分に摂れず育った世代だ。

国民学校3年で風邪から肺門リンパ腺炎を患い、酸素ボンベを枕元に置かれ息も絶え絶えで苦しさに耐えた。信頼していた医師までが軍医として召集され、ただ安静にしているだけで、薬さえも乏しい時代だった。何とか病を乗り越えたが進級は無理だと云われ、新しい級友に頭を下げて仲間入りをお願いした覚えがある。そして疎開、戦争が終わり秋田から帰浜した。農作業の手伝いで鍛えられ病弱少年は逞しくなった。ところが中学の身体検査で校医から「心音がオカシイ、運動や無理な作業は駄目だ!」と告げられ、体育時間に級友の活発な運動や声を聞きながら教室でジ―っとしていた。あばれ盛りの少年には辛く惨めな思いった。患った肺門リンパ腺炎が心音の異常に影響したのか、気持は揺らぎ不安が募った。食糧難の時代母は食べものを苦心して食べさせてくれ用事をさせないよう非常に気を遣ってくれた。一年ほどおとなしくしていたが、あばれ盛りの少年だ。あらゆるすスポーツに熱中した。しかしマラソンのように耐久走は心臓が口からとび出るような苦しさでいつ倒れるのかと恐れ慄(おのの)いた。

戦後復興から世の中が活況を呈するようになり就職した。成長期に入り電力は逼迫し、担当する発電プラント設計職場では絶えることなく工事が受注された。工事を消化するため残業、休出、内外への出張と過酷な勤務が続いた。“忙中閑あり”とうそぶいて酒にすがりながらも夢中で働いた。健康診断は一応“シロ”だが心臓のことが気掛かりであっても仕事のことが頭から離れない。厳しい過酷な勤務がエンドレスに続いていた。弁膜症は兆候があっても数十年後年になって症状が表れるらしい。40代後半になってダウン。心臓弁置換手術と宣告された。「ついに来たか!」と“青天の霹靂”とはこう云う事だろうと暗澹たる気持ちになった。仕事と手術のことが交互に脳裏に浮かび悶々とした日々だった。

最初は細い血管を通すカテーテル検査、血栓が脳に飛んだら脳梗塞だ。胸を縦に切り裂かれ心臓そのものにメスが入り直径25ミリの蝶の羽のような人工の逆止弁を小さな心臓の中に置き換えられた。病気の知識を知るよう努めた。知らなければ“知らぬが仏”だが、医師の説明は理解出来なかったろう。

胸の手術創は凧糸のような太い糸で30針ちかく縫われ抜糸の痛さに耐えた。長い間手をソロソロ広げて胸の痛さを堪えた。

3ヶ月後再び同じ勤務。身体を思いやりいたわってくれるのは束の間で、仕事に会社は甘くない。

いつまでも続く超多忙、ワーファリンを服用しながら術前と同じ勤務。ワーファリン服用が疎かだったのか、徐脈だったのか、通勤時に失神転倒し脚を骨折した。治療中、院内アクシデントに遭いながらも何とか退院できた。猛暑の中汗にまみれ、冬は寒風荒ぶ中歩行訓練でリハビリに夢中で頑張った。

職場復帰出来たのは年が変った頃だった。杖を頼りに何とか出勤できた。それでも定年後、満身創痍ながら古稀まで勤めることが出来た。

リタイアして、喜寿を目前にした頃、今度は僧帽弁が狭窄・閉鎖不全、三尖弁もリング形成手術が必要と診断された。四個ある心臓弁のうち三個が欠陥状態だ。さらに大動脈瘤55㎜が発見され、人工血管に置換しなければ早晩破裂すると告げられて目の前が真っ暗になった。前回より自覚症状は極めて悪い。話すのも苦しい、呼吸は肩で息をするほどの苦しさで、体調は滅茶苦茶のどん底、さらに東北大震災が起こり電力事情は最悪、日々変わる停電地域のニュースに毎日聞き入った。非常電源のバックアップまで気になり確認し、その心配は滅入る気持にいっそう拍車を掛けた。

こんな小さな心臓にニ度もメスが入り、多くのいろいろな人工物で、アニメの世界のサイボークのように修復されるのだ。今度こそ、人生は終わりだろうと覚悟して遺言書を枕の下に入れて手術台に横たわる。節目の喜寿の齢だった。

ICUで13時間の手術だったと聞えた。でも甦ったのだ、しかし頭は朦朧としている、つじつまの合わない話をする、意味不明の夢を見る、これが人工心肺によるポンプヘッドかと思った。息苦しさは無くなったが呆けの心配に変った。退院する頃まで続いた。

退院後、脈拍が40~50と少なく手首を押さえて注意していたが、3ヶ月が過ぎた朝、新聞を見ている時ニ度も失神して床に転倒した。また緊急入院しペースメーカー埋め込みで手術台に横たる。
もし、入浴中やホームで倒れたら全てが終わりだったろう。こんな波乱多き人生を歩んで来てまさか八十路に入れるとは予測すらできなかった。医療の進歩もさることながら運の良さだけではないだろう、何と云ってものカミさんや家族が側で離れず支えてくれたからだろう。今でも頭は上がらない。

キズだらけの欠陥躰で生きて来て、若さを失ったが嘆かず、恐れずポケットに好奇心を入れてスマートに老いるよう心掛けて充実した八十路を歩むとしよう。あとはSTAP万能細胞に望みを持てばよいだろう。こんな身体でも、先日昔の仕事仲間と元気で梅見に行って来た。そして1句詠んでみた。

「がむしゃらに生きて八十路の梅見かな」

今宵は人生節目の誕生日、カミサンと安堵のグラスを傾ける。      了 

                   髙橋しげお
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カムバックハートこと、鍋島と申します。神奈川県川崎市在住の48歳男性。

2008年12月に僧帽弁形成手術を受けて、第二の人生をスタートさせることができました。

南淵先生と私

南淵先生と私(術後の初外来にて)

フィルムで写真を撮るのが趣味です。(元)心臓病仲間のポートレート写真展の開催に向けて準備中です。詳細はこちらの記事。「創と私」「術前 vs 術後比較ポートレート」「病気を支えた家族と(元)患者のツーショット」「笑顔の(元)心臓病仲間のポートレート」のテーマで作品制作中です。これから心臓手術を受けるかもしれない人達に元気になる期待と勇気を与えたいと思っています。

心臓病仲間の輪に入りたい方や、ブログについてのご質問、お問い合わせのメールはお気軽にこちらへ どうぞ。但し、私は医者ではないので医学的なご質問にはお答えできません。初めての方は簡単なプロフィールをお願い致します。

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ブログ開設: 2008年12月
お知らせ
南淵明宏先生の公式サイトにある「勇患列伝」 その7に出てくる「平松」とは私のことです。

yomiDr.のサイトにある世相にメス 心臓外科医・南淵明宏ブログ にこのブログのことを書いて頂きました。こちらの記事には第三回(元)心臓病仲間の集まりについて書いて頂きました。

このブログは、私が弁膜症の僧帽弁閉鎖不全症という病気に診断されたところから、入院、手術、退院、その後の生活という流れで時系列に記載しています。2008年12月当時の状況ですので、その後の医学の進歩で内容的に古くなっている部分があるかもしれません。実際の患者にしか分からない心理的な面の記述をできるだけ表現したつもりです。最初から読まれる場合は、「★はじまり ~こちらからご覧下さい~

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